メディアの編集・論説者たちは、戦前において戦争を煽りつづけた歴史を忘れすぎている
最近の私は、歴史小説の範囲を幕末ものから、次のステップで「明治維新から太平洋戦争まで」の近現代史へとシフトしてくる。
そこで常に「なぜ、こんな大戦争をしたのか」という疑問を向けると、まいず国民が熱狂的に軍部への期待が高かった。国民をそのように仕掛けたのは当時の新聞である。
政府は膨大な軍事費の捻出に苦しみ、戦争は避けたい。しかし、各新聞は政府は弱腰だといい、世論を戦争への煽りつづける。これでもか、これもかと。
日露戦争でもしかりだ。政府が非戦への逃げ道をなくさせたのは、新聞記事である。事実上の戦争推進者だった。
昭和に入ると、犬養毅が内閣総理大臣になった。かれは満州国を認めなかった。海軍の青年将校らが、首相官邸に押し入った。「話せばわかる」というが「問答無用」と射殺した。
それら青年将校が裁判にかけられると、日本国中から、減刑の嘆願書が数万通も届いた。これを煽ったのは新聞である。
満州国の独立が日本の傀儡政権で、国際連盟で総反発で、日本の主張をどの国も認めなかった。
犬養毅が暗殺されなかったら、あるいはテロリスト・青年将校の減刑嘆願を煽らず、テロ批判に回っていたら、太平洋戦争という不幸な戦争はなかった可能性が高いはずだ。
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戦後八十年記念特集がメディアで流れ始めている。
「謙虚に歴史的事実を認め、過去と誠実にむかいあうことである」
そんなふうに他人ごとで書いている。あるいは報じている。
明治から77年間にわたり我が国を侵略戦争へと煽りにあおったのが新聞だった。悲劇的な運命をつくった加担者だった。という国民への謝罪一つすらない。むしろ、『新聞は無関係でした、正義の味方でした』と美化しカムフラージュしている。
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新聞はいまや斜陽化している。それでも過去からのジャーナリズム精神のうえに胡坐をかいた高慢な意識と態度である。自分たちに不都合なことは書かない、逃げることが多すぎる。ろくに取材はしないで、広告(コマーシャル)をこれでもか、これでもか、と流しつづけている。スポンサーの不利なことは書かない。
報道の品質の低下は甚だしい。まさに自滅への道をすすみはじめている。
あえてメディアの危機を、私がヒステリックに叫ぶ気持ちはなどないが、「もはや必要としないテレビも新聞もこの世から消えていく」という賢者の言葉が真実味を帯びてくる。
打つ手はないのか。ここはいちど「昭和初年から100年を洗いなおす」「戦争責任を問い直す」という姿勢と熱意がなければ、再生へ道はなく、奈落へと向かうだろう。というのも、政治家・軍人・皇室に諂(へつら)った往年の姿勢がいまなお現存していないか。むしろひどくなっていないか。内面的な悪魔の手がはたらいていないか。それを問い直すときである。
民主主義の基本は、顔を民に向けておくことだ。それをもって報道の自由が保障されるのだ。
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YouTubeは、玉石混合である。玉(良いもの、価値のあるもの)と石(悪いもの、価値のないもの)が混じり合っている。しかし、市民ジャーナリズムが確実に制度を高めている。
いまでは、大手メディアよりも、質の高い宝石(真実)が見つけられる可能性が高くなってきた。
海岸の砂浜を歩くのと同じである。小粒の砂、蛎殻、海中で死んだ魚も打ちあげられている、海藻もある。とんでもないものも遠路から流れついている。それでも、輝く宝石すらもみつかることがあるのだ。
庶民の目が肥えてきている。自分たちみずから真贋の見極めすらもできてきている。
それはなにを意味とているか。メディアが情報を篩(ふるい)をかける、という役目が終焉に近づいてきているのだ。とりもなおさず、情報の独占・寡占でなくなったのだ。それを踏まえて