あえて明治・大正・昭和の戦争を回顧する。「これが人間のすることか」
「もしも、戦争がなかったら、人間は幸せになれるのか」と自分に質問を向けてみると、反ってきたことばは「幸せとはなにか」という返ってきた。
幸福とはなんだろう。わからないな。概念の用語だから、人それぞれである。
日清戦争で、大陸で戦う日本兵士が戦場を駆けまわり、喉がカラカラに渇けば、差し出された「いっぱいの水」に至福の瞬間を感じるだろう。飲み干した時には、これぞ最高の幸せだろう。日本の河川は真水でも飲めるが、大陸の衛生管理は悪いし、糞尿が川や飲料水に混ざっている。細菌だらけた。幸せに感じた水が死の飲料水だ。
「水が美味しい」し、日本兵には警戒心がない。
勇敢に戦う衛生状況が悪い。水が悪い。衛生管理が悪い。赤痢・コレラ、腸チフスなどの伝染病を発症し、兵士から兵士へと感染した。そして、日本陸軍の内にまん延した。、
戦死者よりも、病死がほとんどだった
が
その兵士が敗戦とともに、わが家に帰り、歳月が経てば、ふだん日常生活のなかで、いっぱいの水道水がありがたい、と感じているないだろう。いちいち感動していたら、この世で生きていけない。
最近は明治維新から太平洋戦争の終結まで、近代史に取り組んでいる。悲惨な記録写真をみる機会が多い。眼をそむけたくなるが、あえて自分を鼓舞し、「これが人間のやることか」と思いながら、直視している。
日中戦争で観れば、日本軍の上海空爆で、悲惨な人体が飛び散っている。子どもが焼けたまま、放置されている。南京大虐殺では、動画で、中国の複数の民間人(兵士かも)が両手を挙げている。国際条約では捕虜の虐待は許されないにもかかわらず、縛って、「撃て」と日本の将校が声をかける。かれらを背後から銃殺する。
さらに厳しい映像がある。穴の中に縛られた婦人が生きているのに、実際に目を開けて動いている。口を開けて叫んでいる。それを日本兵がスコップで土を次々とかけている。
「これが人間のやることか」と私は叫んでしまう。
これら犠牲者は四万人とも、中国側は30万人ともいわれている。人の命は数ではない。人間の一生は一回だ。
関東大震災で、遺体が焼け焦げている。自然災害でも、そんな情景を見ると、「神々がやることか、こんな無残なことを」と叫びたくもなる。