国債発行は途轍(とてつ)もない額になっている。1965年度の補正予算で不況脱出の名の下に、赤字国債を発行し、約50年間で、1000兆円を超えた。
このまま赤字国債が償還できずにいると、いつしかハイパー・インフレ(超物価高騰)になり、円通貨の価値を失う。
当然ながら、諸外国は価値の下落した国家には、物は売りたくない。そうなると、国際通貨基金などは、おもいきった緊縮財政を要求してくるだろう。
そこでなにが起こるのか。歴史を庶民の目でみる習慣がないと、私たちがどんな生活になるか、想像もつかないはず。大幅な飢餓社会がくるのだ。と同時に、極度な格差が生まれてくる。
庶民が苦しめば、苦しむほど、巧く立ちまわり、暴利を得るものがでてくる。「うまく儲ける人間」が背後で政治と結びつくものだ。
いつも、西郷隆盛、坂本龍馬、山本五十六になったような英雄史観で、歴史小説を読んでいると、ハイパーインフレにたいして、『歴史から学ぶ』という目線は育ってこない。なんら予測できず、極貧の渦中に投げ出されてしまう。
歴史から学ぶとすれば、「大塩平八郎の乱」がわかりやすい。
江戸時代の天保8年(1837年)に、「大塩平八郎の乱」がおきた。「島原の乱」から初めての反乱であった。
大坂町奉行所の与力だった大塩平八郎は、現職時代には不正取締りで、德川家の上層部も連座から、わが身をおびえさせた、凄腕だった。
その後は、家塾の教育者となり、窮民には書物を売って恵み与えていた。
やがて、かれは為政者の役人と大坂の豪商の癒着(ゆちゃく)と不正を断罪するために、約300人を率いて反乱を起こし、豪商を襲ったのだ。
半日で鎮圧されます。大塩は後日、自決する。教科書はまずここらあたりまでです。
このわずか半日が、德川政権崩壊への幕末史のスタートです。
ペリー提督がきて幕末史がうごく、というのは明治政府が都合よく、自分たちをおおきく見せるためのものです。それ以前にも、アメリカから通商を求めて、長崎にも、江戸湾の浦賀にも、来航してきています。
アヘン戦争では蒸気船の軍艦がつかわれています。英国と中国の戦争の内容が、日本にも伝わり、老中も、諸大名も蒸気船の存在を知っていました。
それなのに、明治政府は、ペリー来航に蒸気船の軍艦2隻が加わっていただけで、日本じゅうが恐怖のどん底に落ちたように、わい曲しています。
その実、浦賀は初の蒸気船で、武士と庶民の見学者であふれかえり、奉行所はその人の整理に苦慮していたのです。
大塩の乱は、德川政権を震撼させた反乱です。ペリー提督の浦賀来航よりも、おおきな影響を与えています。
それはなぜか。
かれが乱を起こす直前に、大坂周辺に、「村々の貧しき農民にまで、この檄文を贈る。天下の民が生前に困窮するようでは、その国も滅びるであらう。』と、文章を撒(ま)いたのです。
この『檄文』が諸国に伝わると、折からの大凶作で、農民一揆、打ち壊しが各地で多発したのです。つまり、歴史を変える幹が動いたのです。
歴史はつねに庶民がつくるものです。慶応3年の庶民の「ええじゃないか」運動は物価高騰のハイパーインフレによる庶民の怒りです。
第15代慶喜将軍が経済政策に手を打てず、庶民を武力弾圧もできず、天皇への「大政奉還」へと及びます。つまり、外交は強い慶喜が内政のハイパーインフレに屈したのです。
坂本龍馬がひとり「日本を洗濯する」と言い、英雄として描くのはあまりにも、歴史作家が創作しすぎています。尊王攘夷を訴える志士だけで、巨大な徳川政権が倒れるほど、徳川家は弱くなかった。現在も、御三家は脈々と継続しています。
現在も、諸外国がハイパーインフレに襲われると、政権のトップが入れ替わっています。
大塩平八郎が乱を起す直前に、『檄文』を教科書でおしえてくれると、日本がやがてくるだろう、ハイパーインフレが庶民をいかにどん底生活に突き落とすか、と温故知新で学べるのです。
大塩平八郎『檄文』を抜粋
『政治にあたる器でない小人どもに、国を治めさしておくと、災害(人災)が起こる。
年々、地震、火災、山崩れ、洪水その他いろいろ様々の天災(天保大飢饉)が起きて、庶民か飢餓状態にある。それなのに、得手勝手な政治を致し、役人は窮民を救済せず、税金を取り立てることにばかりに熱中している。』
『大坂の金持どもは、諸大名へ金を貸付けて、その利子の金銀ならびに扶持米を莫大に奪い取り、未曾有の有福な暮しをしている。
餓死していく貧人、乞食もあえて救おうともせず、かれらは山海の珍味を食べ、妾宅等へ入込み、あるいは揚屋茶屋へ大名の家来を誘引してゆき、高価な酒を湯水ごとき飲ませ、振舞っている。』
大塩は元与力でだけに、鋭く観察しています。
『一般の民が難渋している時、豪商は絹服をまとひ、芝居役者を妓女とともに迎へて、遊楽に耽つている。なんということか。日々、堂島に相場ばかりをもてあそんでいる。堪忍し難くなった。』
現代でいえば、財閥級の大金持は株、為替、穀物の相場で、もてあそんで儲けている情況です。
『この頃は、米価が高値になり、市民が苦しむ。それに関はらず、大阪の奉行ならびに諸役人どもは、万物一体の仁を忘れ、私利私欲の為めに、得手勝手の政治を致している。
江戸の廻し米を企らみながら、天子(天皇)御在所の京都へは廻米をしていない。それのみでなく、五升一斗位の米を大阪に買いにくる者すら、これを召捕るという、ひどいことを致している。
むかし葛伯といふ大名は、その領地の農夫に弁当を持運んできた子供をすら殺したという。それと同様に、ヤミ米取締りは言語道断のはなしだ。
何れの土地(大坂、京都、江戸、どの諸国)であっても、人民は徳川家御支配のものに相違ないのだ。』
為政者は立身出世、一家の生活を肥やす工夫のみに知恵をはたらかすと、糾弾しています。具体的には、大坂の町奉行(当時は行政・司法の支配者)が、江戸の德川将軍の威光ばかり気にした政治をしているから、大坂の米価が暴騰するのだ。これは人災だ、と大塩は義憤しているのです。
『政権を手にしている者は、不正を取締り、下民を救ふべきである。それができなくて、下民を苦しめている。そんな諸役人はまず誅伐し、おごりに耽っている大坂市中の金持どもも誅戮に及ぶことにした。地頭、村方にある税金などに関した、諸記録や帳面類はすべて引破り、焼き捨てる。』
大塩の怒りはついに頂点に達し、乱の決行へと及びます。
『この書付(檄文)を村々にまわしてほしい。
騒動が起つたことを耳に聞いたならば、距離を問わず、一刻もはやく大阪へ向けはせ参じてきてほしい。それぞれに金米を分配し、驕(おごる)者の遊金を分配する。それが趣意である。
器量、才力あるものは無道の者どもを征伐するために、軍役にも使たいのである。』
半日で鎮圧された大塩の乱ですが、この『檄文』が全国へと流布していきました。農民一揆、打ち壊し、さらには水野忠邦の失政となり、德川政権の土台が崩れてくるのです。
つまり、農民・庶民は為政者の言いなりにならない、「抵抗する庶民」へと目覚めさせたのです。これが政権破綻へと結びつくのです。
現代の国債がこのさき2000兆円になったらどうなるのでしょうか。政治家は施策で償還できず、一方で国税、地方税の不足から、税の取立てに躍起になってくるでしょう。国際社会の厳しい緊縮要請からも。
日本国じゅうに失業者が溢れると、生活保護など期待しても、予算がないと門前払い。多少でも、資産があれば、政治家が資産税金、預金税として取り立ててくる。
ところが、政治の裏の裏を知る人間だけは、それでもうまく生き永らえる。
ある意味で、大塩平八郎は為政者からみれば、テロリズムです。しかし、庶民の立場で政治を変えよう、政治を正そうとしたことは事実です。
ハイパー・インフレ(超物価高騰)になっても、小説上の坂本龍馬など出てきません。龍馬は娯楽ものとして認知する、大塩の『檄文』から、私たちの数十年後を考えた方が、「古きを訪ね、新しきを知る」という温故知新になります。
過去の戦争は、赤字国債で軍備を拡張してきた背景があります。
その歴史的な反省で、『耐えがたきを耐え』と戦後は国債発行をやめていました。しかし、そこから20年経つと、『景気対策だと言い、国債をつかう』国家になってしまったのです。政治家は景気が冷えることをやたら怖れています。他に方法・施策はないのでしょうか。
この安易さは天保の飢餓・飢饉への災害とおなじで、国家の破産宣告への道へとつながってしまう。
大塩が見立てた『政治にあたる器でない小人どもに、国を治めさしておく』という人災となるでしょう。