【歴史から学ぶ】幕末ベストセラーの頼山陽著「日本外史」は歴史書か、戦記小説か(2/3)
幕末史が大好きなひとは、「尊王攘夷」を口にします。
尊王とはなにか。攘夷とはなにか。それぞれの用語を問われると、満足に答えられず、曖昧(あいまい)になってきます。
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尊王攘夷=倒幕思想。そのように鵜呑みしています。徳川幕府はアンチ天皇制(敵対する)、と勘違いしている人が多いのです。
幕府はけっして天皇家と敵対していない。その認識がないと、幕末史の事実誤認が起きてしまいます。
頼山陽=写真・ウィキペディアより
NHK大河ドラマの主人公になるような、篤姫、桂小五郎(木戸孝允)、伊藤博文、渋沢栄一など、社会の改革、もしく革命家たちは、幼いころに親に「日本外史」を買ってもらっています。そして、むさぼるように読んでいます。
それほど国民的な爆発的な人気書でした。
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「日本外史」は、平安時代の源平争乱からはじまり、徳川家康が江戸に幕府をひらく頃までです。この間の天皇や武士たちの戦記を中心に綴っています。
頼山陽は、徳川政権の打倒への暗示もなければ、それに類したことなど1行も触れていません。
では、なぜ幕末志士たちに愛読されたのでしょうか。
徳川中期以降の武士階級の教育は、藩校での座学で暗記です。倫理、道徳の儒学が中心であり、たとえば、中国の史書、詩経などの文章を素読で丸暗記する勉強法です。
教材にはまったく日本史(通史)はありません。それがおどろく点です。せいぜい日本書紀を学ぶくらいです。
特定の国学者ならば、独学で、天皇の名まえを時系列で覚えていたかもしれません。それでも、天皇がどんな事件と深くかかわっていたのか、とまで理解できていません。
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鎌倉幕府、足利幕府、徳川幕府の将軍の側から、天皇とはどのように関わったていたのだろうか。德川幕府ができる以前の歴史書がなかったのですから、藩校の優秀な生徒すら、天保の改革と享保の改革はどう違うか、こうした当時の現代史すらわからなかったのです。
たとえば、現代の私たちは大学入試で、名前を時系列で答えられても、ような考えで社会と関わっていたか、と問えば、答えられません。裏返しに、各将軍の政治、経済、文化、思想の面で、殆どわかっていません。
中国の司馬遷「史記」や司馬光「真治通鑑」は、中国語(漢文)で習っていました。ですから、現代の西洋史、日本史はどの藩にも、歴史教科書(通史)の科目がなかったのです。
この大全体が大切です。
頼山陽の住居(頼山陽史跡資料館) 撮影=芸州広島藩研究会・広報・山澤直行
頼山陽著は「日本外史」が寛政時代に完成しました。それが広島浅野藩主、老中首座の松平定信に献上されて、広く拡がりました。
時代は平安時代後期の源平争乱から、德川政権の初期までです。文学的な価値が高く、歴史小説の形態を取り入れています。当時の青少年に読めるレベルで、天皇と武士の事件がドラマチック、エキサイティングに描かれています。
漢文ですが、かれの文体は平易で最も読み易い。難解な漢字、表現はさけれている。天照天皇、ヤマトタケル、神武天皇、大和朝廷など硬苦しい時代、小難しい学術書ではなかった。
源平合戦の歴史ドキュメントからです。
「生れて初めて、歴史書を読んだ」
だれもが、朱子学の藩校の授業でなく、小遣いをためて買って読む。
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幕府や武将は、歴代の天皇と出来事や事件や合戦で関わっていたのか。それを知る衝撃は想像を超えるものでした。
頼山陽の情熱的な文章てせす。……湊川の戦いでは、楠木正成が天皇のために命を亡くす場面は、読み手の高揚感が強まります。天皇のために死す。楠木が全滅の場面などは涙なしに読めないところです。
読者は自分を重ね合わせ、「後醍醐天皇のために、命をかける」と感情移入し、むさぼり読んでいく展開となっています。
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德川後期になると、青年層の間で「日本外史」を読まなければ、尊王志士ではないといわれるほど、国民的な人気書になったのです。
「天皇のために、国民のために命をいとわない」
頼山陽の日本通史(平安末期)から、学び、天皇崇拝と尊皇思想が全国にまたたくまに拡散したのです。
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「日本外史」は現代にたとえれば、司馬遼太郎の歴史小説『竜馬がゆく』(土佐藩脱藩の坂本龍馬)、『燃えよ剣』(新選組副長の土方歳三)にちかい高揚感に似ています。それ以上かもしれません。
司馬史観の小説を歴史書だ、と思っているひとはわりに多くいます。竜馬が好きだ、土方だ好きだ、という表現になります。
頼山陽が学術書でなく、歴史小説と描いたのが成功したのです。青少年にはワクワク、ドキドキ、波乱万丈で、寝ないで一気に読んでしまう。そんな興奮する場面が連続します。
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『日本外史』では、登場する天皇のすべてを、頼山陽は賛美しているわけではありません。天皇をヒーロー、英雄扱いもほとんどしていません。
「天皇は権力者たちに担ぎ出されている」
と厳しい面があります。
島流しになったり、山奥に逃げ込んだり、とリアルに展開しています。さらに、天皇の陰謀を取り上げたり、天皇親政は成功したためしがない、と厳しい。
ただ、天皇制の本質をついています。天皇の人間らしさ。天皇の権威。武士よりも、天皇が上位にある。なぜならば、わが国が皇国であると、一貫して書き貫かれています。
「平家にあらずんば、人にあらず」という最強の平家も、頼朝・義経の手で短期に滅亡されます。屋島、壇ノ浦の戦いなど、つよい求心力のタッチで描かれています。
平家を倒す、義経の活躍の場面などは、読み手のこころが躍る。かたや、徳川幕府も栄枯盛衰の運命にある、とだれもが「日本外史」から読み取ったことでしょう。
ペリー来航後に、「日本外史」の尊王論が攘夷論と結びつきます。それが「尊王攘夷」の思想となり、熱風のごとく国内に吹き荒れます。
頼山陽の「日本外史」が広く一般に読まれて、歴史ドラマを通して、ごく自然に「皇国思想」が育ったのです。
『徳川政権は絶対ではない。歴史をまなべば、栄華盛衰のくり返しだ』
皇国思想が、德川幕府の根幹を揺さぶったぶったのです。
わずか15年後には、徳川家が支配する巨きな幕府が瓦解(がかい)します。まさに、後期はとてつもない現実の歴史ドラマとなります。
【つつく】