A035-歴史の旅・真実とロマンをもとめて

「紅紫の館」は幕末史を変えるか。新発見の連続は偶然の出会いから生まれた (上)

 小説がときに歴史の定説を変えることもある。それらは意外にも、偶然から生まれた作品に多い。

 戊辰戦争は、「新政府と旧幕府軍の戦い」と刷り込まれている。私自身も信じて疑わなかった。
 しかし、このたび歴史小説「紅紫の館」を書くうちに、戊辰戦争は南北朝時代(後醍醐天皇と足利尊氏の戦い)に似た、天皇家の戦いだったとわかった。
 つまり、京都の幼帝(のちの明治天皇)と東の東武天皇(21歳・孝明天皇の義弟)の戦いであった。

 江戸城無血開城の日に、徳川慶喜は水戸に引っ込んだ。旧幕臣も奥羽越連合ももはや慶喜を見棄てていた。かれらは東武天皇を擁立した東日本政府樹立の戦いであったのだ。
 私が「紅紫の館」を執筆しなければ、東武天皇とか、元号「延壽」とか、闇に消えたままで聞くこともなかっただろう。

         *

 一般読者には、作家の裏舞台ともいえる執筆の動機など、あまり知る機会がないとおもう。一つのエッセイとして紹介してみたい。まさに、偶然の連続であった。

 ちょうど1年前の令和2年1月5日だった。日暮里の居酒屋で、高橋克典さん(日本作家協会・理事)から、
「前にも話したけれど、日比谷家について書いてみない?」
 と話題がそちらに進んだ。
「先祖をよいしょする歴史小説など、書きたくないよ」
 私は難色を示し、断った。
「3か月前(10月)に、いちど電話で話したように、徳川・明治に詳しい作家じゃないと書けないとおもう。うちの日本作家協会には書き手はいろいろいるけれど、この作品は穂高健一しか書けない」
「おだてないでよ。ところで、東京の日比谷公園など、全国に名の知れた地名があるけれど、そこと関係あるの?」
「そうらしい。聞いたところによると、鎌倉末期から室町時代までさかのぼれば、日比谷が先祖の発祥の地らしい。東京湾はそのむかし日比谷湊と言われていたようだ」
 高橋さんはすでに同家の方々と2、3度会ったうえで、私に話を持ち込んできていたのだ。
 

         日比谷健次郎は北辰一刀流の免許皆伝だった

 徳川家康が江戸に入府してきた。多くの武家屋敷の拡張工事で、日比谷郷の人たちは武蔵国足立郡(足立区)に移住させられた。そこで新田開発をおこなった。千代田さん、牛込さん、飯倉さん、という名字の方々もおなじで、豪農として、名主(庄屋)として、関東地方に定着したという。

「この話しの発端は、ゴルフ場で、日比谷という名字の方が出会った。『あなたも、日比谷さんですか』と言い、話すうちにルーツは日比谷郷だとわかった。しかし、江戸時代の中期あたりから分化しらしいたけれど、そこらはわからない。『日比谷という名字は少ないし、いちど声がけして会ってみましょうよ』となった」
 7、8人が都内で会った。かれらの曽祖父あたりに「日比谷平左衛門」という明治の紡績王がいる。日本で初めて和独対訳字琳』(日独辞典)を作った日比谷健次郎がいる。
 ともに、ルーツは戦国時代の日比谷郷だという。菩提寺も同じ。だが、幕末・明治のころになると、有力に結びつけるものがない。最近は個人情報保護法で、お寺も過去帳を公開しない。学者に当たってみたが、明確なエビデンス(証拠)がない。
「ここは想像で書ける作家に、結び付けて、本にしてもらおう」
 それが高橋さんのところに持ち込まれた経緯だった。
 
            *    

 高橋さんは徳利を傾けながら、こういった。
「穂高健一はお金で筆を曲げない、ゴーストもやらない。自分の名前でしか書かない。それは日比谷家の人たちに伝えているよ。書きたいように書いてよ」
「高橋さんは、もう引き受けてきたんじゃないの」
「まあね。これは勘だけれど、この日比谷家は穂高健一にとって、大きな掘り出し物になるよ」
「作家の勘も当たることがあるからな」
 私は2022年に、幕末歴史小説の新聞連載(日刊)が入っている。連載が決まった当初は、阿部正弘を予定していた。あまりに先になるので、書下ろし「安政維新」(阿部正弘の生涯)の単行本で出版した。別企画(京都と江戸を舞台)は新聞社に了解をもらっている。
 2年間先まで、ずっと取材に没頭するわけではない。一年間ぐらいは日比谷家の作品は書けなくもないと、私の気持ちが傾いた。

写真提供=日比谷二朗さん


                    【つづく】

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