A035-歴史の旅・真実とロマンをもとめて

天保時代の小説イメージ通りの料亭を見つけた、=飛騨高山

 天保時代、飛騨高山に突然、あらわれた左官職人がいる。神田まつりで、喧嘩し、人を刺し、江戸から流れてきたらしい。
 当時も、現在でも、その名を『江戸万』(愛称)とよばれている。これがとてつもない良い腕をもった職人だった。
 
 日本三大美祭のひとつ高山祭り(4月10月・年2回)に訪れたひとならば、絢爛豪華(けんらごうか)な三階建てくらいの台車(山車)を知っているだろう。台車はきっと数千万円(現在価格)するはず。江戸万はその台車を収納する土蔵をつくった人物である。
 現在では、その台車よりも、かれの造った土蔵のほうが文化財的な価値があるといわれている。いまでも、江戸万の土蔵の再現・復旧はできないほど、超高度な技術だったのである。

 わたしが執筆ちゅうの歴史小説には、この江戸万と、かれと駆け落ちした女性を描く予定である。



 このたび取材で、高山の街なかを歩いていると、きわだった風情と情感のある料亭があった。高山市教育委員会の「案内板」には、文化・文政のころからの建築物だと明記されていた。現在は料亭「角正」の暖簾(のれん)をだす。

 江戸万にからむイメージにぴたり。女将さんが客人をお見送り中だったので、そのショットを撮影させてもらった。

 料亭内に入れば、いっそう登場人物のイメージがつかめるだろう。庶民価格を越えているが、これも取材だと、昼食に立ち寄った。ていねいな歓迎を受けた。

 
 文化文政のころ、高山陣屋の出入りする医者が経てたらしい。おおきな屋敷で、中庭の定理はよく、建物内部は重厚な造作だった。

 その後、医者から料亭に持主がかわった。あるじは江戸に出て修行し、腕の良い料理人になった。その伝統が現在もつづく。女将さんや仲居さんから説明を聞くうちに、小説のイメージがより一段と膨らんできた。
 

 美味しいソバをちょうだいし、さらには仲居さんには玄関の外まで、にこやかな表情でお見送りしていただいた。

 なお、江戸万は非業な最期をむかえている。僧侶の駆落ちさわぎに巻きこまれ、中尾峠で刺されて死んでいる。ここら一部史料があるので、歴史小説のなかで描く予定である。

【小説の一部】を紹介してみたい。
 場所は、飛騨山脈の山奥の一軒家、湯屋(宿屋・現上高地ホテルらしい)である。

 33歳のお滝は湯屋(宿屋)ではたらく、女中頭だった。その器量は人なみ以上で、歯切れがよい江戸ことばで、あれこれ下女たちを指図する。商家の若奥さまの面影が感じられた。
 お滝は、かつてお江戸日本橋の木綿問屋の若妻だったらしい。若旦那はやさしかったが、3年にして子どもができず、離縁させられてしまったのだという。
 彼女は再婚を選ばなかった。三味線・小唄などで身を立て、いずれ大旦那の妾宅に入ろうと思っていた。ところが左官職人の万蔵に惚れてしまった。万蔵は祭り大好き人間で、威勢がよく、話しにも飽きがこない。職人気質と人柄に惚れた。

 こともあろうに、神田祭りで仲間と喧嘩し、万蔵はかっとなり胸を刺してしまった。仲間は瀕死の重体に陥った。
 お裁きで、万蔵は「重追放」になった。
「お滝、おれと一緒に落ちないか。どこに行っても、おまえを食わせるだけの腕がある」
「この人ならば、ついていけば、幸せにしてくれる」
 お滝は、親にも告げず、高山にながれてきた。そして、長屋住まいをはじめた。

 万蔵はたしかに腕の良い左官職人だった。三階建てくらいの豪華な屋台(山車)を収納する土蔵は不安定な形状である。高く幅が狭い、出入口の観音開きは密封性が要求される。微かな狂いがあっても、蔵内の温度・湿気が替わり、台車を痛める。火事になっても、内部が影響しない。万蔵は、これらの条件を満たす、しっかりした土蔵造りができる腕の良い職人として、たちまち名が知れ渡った。

 万蔵はいつしか『江戸万』と呼ばれはじめた。重追放の身ならば、人別帳(現・戸籍)が貰えない。無宿人の万蔵は、しごとの高い評価から、台車づくりの盛んな高山には欠かせない存在となり、町役人の推薦で、町人扱いの身分(住民)なったのだ。

 男は金ができると、別の女に目移りするものらしい。なにかと女の影を感じていた。
「わたしは万蔵を信じて、この高山まできたのに……」
 お滝は江戸料理を売り物にする「角正」の座敷女中として働きだした。ある日、担当する姐さんから、ちょっと、これを運んで。大切なお客さんだからね、と指図された。羽振りのよい左官職人の常連さんだからね、とつけ加えた。
 うなぎ料理の膳を小座敷まで運んだお滝は、あっ、と声を上げた。手にする膳を落としそうになった。

 万蔵はあれこれ言い訳したが許せなかった。
「いい加減にしなさい」
 ひっぱ叩いたお滝は、なにも考えられず「角正」を飛びだした。高山そのものが嫌になり、この高山をでた。彼女は諸国をわたり歩き、やがて松本平にながれついた。
 そして、上河内の湯屋の開設と同時に、奉公人となった。人当たりがよくて、如才ないお滝だけに、女中頭になるには時間がかからなかった。

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