日米通商条約は不平等条約に非ず(下)=明治政府の歴史ねつ造
「この条約で、幕末からの日本はアメリカに守られ、列強の植民地支配に陥る危険性はなくなった』
日中戦争(昭和)で、アメリカ側から一方的に破棄されるまで、この条約の精神は生きていた。
『人口過剰の日本が飢餓から救われた、重要な条約だった』
明治政府は、日米修好通商条約は「不平等条約」だ、「関税自主権がないのは不平等だ」と一辺倒である。それはちがっている。当時の日本は、人口が極度に過剰で、食料危機の連続であった。それの解決に結びついていった。
天明から天保へと浅間山の大爆発に始まり、大凶作、地震、雪害、害虫被害など、災害が庶民を叩きのめしてきた。鎖国で輸入品すらなく、改善する手立てはなかった。途轍もない大凶作に襲われると、餓死者が多く、農民一揆、逃散、自殺、打ち壊しなどが起こっている。民はつねに飢餓の線上にあった。
井伊直弼の英断で、同条約が結ばれた。貿易が一気に拡大し、悲惨つづきの食糧不足に対して、輸入という、解決の途が導かれた。
日本は金銀は産出できる国だ。養蚕業の拡大による絹製品の輸出ができる。輸出貿易から外貨が増える。
それを背景に、食料品や生活物資が飛躍的に輸入品が入ってきた。大多数の国民を飢餓から救うことができたのだ。
開国と貿易がもっと早くに行われていたならば、天明・天保の大飢饉で、途轍もない餓死者を出さずにすんだはずだ。
日米修好通商条約の定められた輸入品の関税率は、漁具、建材、食料などは5%の低率関税であった。それ以外は20%であり、酒類は35%の高関税であった。
関税は自由に変えられず固定していたが、これは決して不平等な貿易ではない。現代のTPPに比べたら雲泥の差だ。
德川幕府は要人の叡智をもって、むしろスタート時には日本に有利な関税による貿易を開始したのだ。
天皇の勅許を取らずして、日米修好通商条約が結ばれたといい、水戸藩士らの手で、井伊直弼の桜田門外の暗殺が起きた。
明治に入ると、そのテロを正当化し、国民を飢餓から救った同条約を悪者にしたのだ。
一般に『安政の大獄』というが、思想犯の死刑は8人だった。
ところが明治時代に起きた、幸徳秋水らの大逆事件では、無実の者が11人も処刑されているのだ。
明治政府の思想弾圧、昭和時代の治安維持法が暗黒国家をつくった。処刑は『安政の大獄』の比ではない。近代史、現代史では、そうした歴史的な事実はしっかり教科書に折り込むべきだ。
皮肉なことに、自国の歴史を学ぶべき高校の日本史は選択科目だ。どうして選択なのか。その根拠は何か。日本の歴史教科書には虚実が多い。だから教えたくないのだろうか。せめて自国の歴史くらいは必修にしてほしい。
【了】