降雪の奈良井宿に出むく=山岳歴史小説の取材
山岳歴史小説の取材で、ことし(2014)7月から信州と飛州に入っている。雪の降るシーズン前には、現地取材を終えておこうと思った。
奥飛彈の郷土史家に電話し、資料提供のお礼を言った。「上宝村は大雪で、いま屋根の上は70㎝ですよ」と話されていた。
「中仙道の奈良井宿に行きたいのですが、あっちはどうですかね」
「雪は殆どないんじゃないの」
出発日には、報道関係は「爆弾低気圧」の豪雪を報じているけれど?
松本市内は、たしかにさして降雪はなかった。
奈良井宿に入ると、観光客など、誰ひとりいなかった。
すべての店が閉まっている。
お土産店はどうでもいいけれど、宿屋が見たかった。ここも閉まっている。
天保5年3月28日の描写が欲しい。
しかし、こんなにも雪が降っていると、奈良井宿の春の情景描写は結局のところ想像になってしまう。
歴史小説は想像力を必要とするので、まあ、良いか、と自分自身を納得させた。
中仙道は、島崎藤村の「夜明け前」が有名だ。島崎家は地元だ。出身作家による大きな作品があると、負けてしまう。
本来は奈良井宿を外したいところだ。
天保5年に、飛彈高山陣屋から、菊田泰蔵という大物が松本藩領に出むく。安曇野の庄屋たち複数がこの宿場まで出迎えに来る。挨拶する。
私のこれまでの独自取材では、ここから飛彈と信州の歴史が大きく動きはじめる。飛彈は江戸防衛にも関わる重大な幕府領だ。
菊田泰蔵 → 大井帯刀郡代 → 内藤隼人正勘定奉行 → 時の本丸老中は水野忠邦である。德川幕府の根幹に関わる判断がなされていく。
外様大名がこの機を見て動きだす。
今回の山岳歴史小説では、どうしても外せなかった。
「中村屋」はかつて櫛を製造・販売していた。建物や内部の保存が良いので、町が管理し、有料で見学させている。
当時の面影がしのばれるだろう、と内部をみさせてもらった。
「こんな大雪にくる人は居ませんから、ゆっくり見てください」
受付女性がそう言いながら、建物内部をていねいに案内してくれた。
囲炉裏や釜戸などは、歴史小説の描写などには外せないので、特別に写真の許可をもらった。
机に向かって執筆する段になると、写真の細部を見ながら書いていく。(文章スケッチ、と私は読んでいる)
宿場町に、参勤交代の大名が泊まるところは本陣だった。格式が高い。それを補佐するのが脇本陣である。そして、一般人は旅籠だった。
菊田泰蔵はどこに泊まったのか。古文書から宿名はわかっているが、降雪でどの建物の玄関も閉まっているから、訪ね歩くのは止めた。
中仙道は、幕府領と、尾張藩と、松本藩とが複雑な地形で入り組んでいる。かつての村名が消えている。
平成の大合併で、2度、3度と町村が一緒になり、挙句の果てに都市に吸収されている。史料を追うと、まずそれが現在はどの都市にあるのか、と探さねばならない。
広島出身の私には、土地勘がないから、骨が折れる作業だ。
奈良井宿の建物は、猿頭、幕板、くぐり戸など、独特の造りだ。
ここらは説明を受けても、あたまに入らないので、小学生たちの自由研究「探訪・奈良井宿」など3冊ばかり購入した。
なまじ、建築学の大学教授の著作など参考資料にすると、やたら時間が取られてしまう。
郷土史を学ぶ小学生の史料で充分だ。歴史小説は、研究論文でないのだから。
江戸時代まで繁栄した宿場だから、積荷関係の帳がしっかり残っていた。興味深くのぞき見た。