やってみて分かったこと 吉田 年男
静かな部屋の中にかすかな墨の香りが漂う。教室にしている六畳間の私の机の上に、何枚かの半紙作品が並んでいる。各々自宅で書いて、我が家のポストに入れてもらったものだ。
今までなら、可愛い眼差しで筆を持ち、手本と睨めっこしている子供たちや、私と一緒に 「書」をたしなんでいる大人の方たちの姿が目の前にあった。今はだれもいない。
この度、二度目の緊急事態宣言が出て一か月延長になった。書道教室も、人との密着を極力避けるために、「ポストイン方式」の添削に切り代えさせてもらっている。教室に見えている方の大部分がご近所の人たちなので、この方法ができているのかなと感謝している。
毎月一回、課題の手本を書いて茶封筒に入れ、各家庭のポストにお届けをする。家で作品を書いて、仕上げた清書二枚を我が家のポストに入れてもらう。
受けとった清書作品は、一枚を連盟提出用としてとりあえず保管をして、あとの一枚は添削をして、各家庭のポストへ投函という形でお返しをしている。このポストイン方式を月に三回繰り返している。
昨年、四月に緊急事態宣言が出たときに、この方法でやったことがあった。今回は、とても手際よくできている。
お稽古日には、コロナ禍で、玄関での検温、アルコール消毒、常時マスクの着用など、今まで経験したことのないことばかりで、何か一つをするにも時間がかかり面倒くさくなる。というより、生活そのものが様変わりしてしまった。
ポストイン式のやり方も、最初は自信がなくて半信半疑であったが、やってみると今までは気付かなかったことや、見えていなかったことが、不思議にわかってきた。
それは、従来の対面式のやり方では、いくら長く続けていても分からないことであったので、とても新鮮に思えた。
今迄のお稽古日での添削は、作品を一緒に見ながら、構図のよしあしや、筆の使い方など伝える対面しながらのやりかたなので、確かに利点もあった。
直接、言葉で伝えられるし、書かれた本人も納得もできるところは納得し、納得できなければ、その場で質問できるので、双方向のやり取りがとてもスムーズで、一枚の添削からも、それなりに得られるものが多い。
しかし、今回のように、書かれた本人が目の前にいなくて、ポストに入ってきた作品のみを前にすると、全く作品に対する感覚が違う。不思議なことに、まず作品から何か語りかけてくるものを感じる。それは書いている本人をより一層イメージしやすいし、その時の心の動きや、姿勢、筆使いなどが垣間見えてくるようで楽しい。
毛筆での作品は、頭で理解しようとしてもわからないところもある。むしろ、気持ちをできるだけ解放させて、ただながめているときに、作品のほうから何かを無言で語りかけてくるといわれる。
ポストに入ってくる毛筆作品は、引かれた一本の線、点画などに、気とか精神面の何か? が包含されているのだと思う。
あどけない顔の子供たちの作品にも、鉛筆や、ボールペンで書かれた作品と違って、よしあしは頭で理解するものではなく、あくまでも感じとるものだということを、添削しながら改めて見直すことができたことは大きい。
【了】