緑の歓談 = 青山貴文
梅雨の晴れ間に広がる青空に、白い雲がわずかに浮かんでいる。久しぶりの上天気だ。おまけに、この時期には考えられない、高原を吹くような乾いた風が肌に心地よい。
玄関の呼び鈴で出てみると、大手証券会社の高木耕輔君で、20歳代の若者だ。数日前に、きょうの来意の連絡があった。
私は数年前から、異分野の若い方と、いろいろ話す機会を意図的に作ってきた。わが家にやってくる営業マンの中から、元気で馬の合いそうな数人の方に、
「私は技術屋ですが、現役のころ営業にでていたんです。営業マンは、止まり木をつくるとよいと先輩から教わり、当時から、時間ができると、気軽に訪問できる顧客を作るように心がけていたものです。会社を辞めても、止まり木だった方々との付き合いが長く、いまもってメール交換などしているんですよ」
「止まり木ですか」
「そうです。その止まり木の一つに、わたしを考えてください」
なにかにつけて、そんな風に話している。
そんな経緯もあって、数人の男女の若い営業マンが折を見て、わが家にやってくる。むろん、私にすれば、居ながらにして、最新事情を聴ける情報網となる。
高木君にたいしても、
「金融界にいる方と話すと、活字を読まなくても、いろいろのことがわかり、すごく勉強になります。夏の暑い日や冬の寒い日には、あるいは困ったことがあったら、わが家に立ち寄りなさい。お茶でも飲んで、語らいましょう」
と事あるごとに誘ってきた。
きょうの高木君は大きな鞄をさげ、力なく肩をおとしていた。高木君は、このところの株安で、苦しい立場にあるらしい。お客から、きっと、いろいろ苦言をいわれているのであろう。株など、また上がってくるものだ。
そう言いたいところだが、彼の顔の表情からしても、きょうはこの話題をしないことにきめた。
ひとまず、わが家の南向きの客間に案内する。軒下近く植えた楓の樹が、大きく成長して、葉影を伸ばし、6畳間の客間はわりにうす暗い。
(高木君を元気づけるには相応しくないな)
そう思った私は、障子戸を開け、さらにガラス戸も開けた。すると、網戸から光とさわやかな風が室内に入ってきた。
ある考えが浮かんだ。
「きょうは残念ながら、話好きの妻が出かけていませんから、庭のキャンピングといきましょうか。この縁側から下駄を履いて、あの楓のそばの、椅子に腰かけて待っていてください」
と芝庭の丸テーブルを指した。
彼はすなおに踏み台の下駄を履いていた。
私は、2階の書斎にある登山リュックから、携帯ガスボンベと取手のついた小さなポットを取りだした。その上で、水を入れた2リットル容器を階下におろす。片や、インスタントコーヒー瓶や2つのカップ、スプーンなども、お盆に載せて庭のテーブルに運んだ。
ガスボンベに火をつけてから、ポットに水を注ぎ、湯を沸かしはじめた。この間に、台所の冷蔵庫からチョコレートを持ってきて、彼に勧めた。そして、2つのカップには、好みを訊いてインスタントコーヒを入れ、お湯を注ぐ。
「コーヒーには、チョコレートがあうんですよ」
緑の濃淡の庭園で、ふたりして午後の陽射しをたのしむ。狭い庭だけれど、きょうの高木君にはきっと心休まる場所だろう。
コーヒーを飲む一方で、時折り、椅子の背板ごとふんぞり返り、空を仰ぎみる。青い空、白い雲などがまぶしい。
「ここは、最高に気持ちがよいですね」
彼は上着を脱ぎ、手足を伸ばし、周囲に目をやっている。
楓の緑葉が陽光に当り、輝いている。それにも、こころを止めているようだ。
若い頃、私はヨーロッパで、複写機用マグロールという磁石製品を拡販し、ヨーロッパ全土をくまなく飛び回っていた。
顧客の中に、ディベロップ社という中堅複写機メーカーが南ドイツミュンヘンの郊外にあった。その副社長兼技術部長の家に、私はなんどか招ねかれたものだ。副社長だから、大邸宅かと思いきや、わが家の狭い庭とほぼ同じ広さだった。
そこで、副社長は携帯ボンベでお湯をわかし、歓待してくれた。その奥様も語らいに加わっていた。いまとなれば、仕事の話などはすっかり忘れたが、歓談の光景だけは鮮明におぼえている。
私は、高木君に、その体験談をゆっくり話して聞かせた。
「ヨーロッパのひとたちは、仕事もさることながら、生活を楽しんでいます。豪華なレストランに招かれるよりも、家族との歓談を考えてくれる顧客の方がうれしかった。いつか、あなたも海外にいくことがあるでしょう。私に似た体験もきっとするでしょう」
こんな将来の話が、高木君の心にひびいたのか、彼の顔には、なにかふっきれた晴れやかさが戻ってきた。
この青年はいずれ結婚し、子供を持ち、いろいろな体験し、成長していくだろう。やがて、ある日、ふと、きょうの庭の緑陰の風景を思い出すかもしれない。そして、別の方法にしろ、年若い人にたいして、止まり木の場を提供する。そうなってくれると、うれしい。
私はいつしか彼にそんな期待をしていた。