甲箱ガニと「ちろり」 廣川 登志男
昨年十一月に、加賀市大聖寺にある家内の実家から、例年通り甲箱ガニが送られてきた。首を長くして待っていたカニだ。早速、ご馳走になった。
甲箱ガニはメスのカニで、オスはタラバガニとよばれる。大きなオスのタラバガニは、美味しいのは確かだが、高値のつく料亭などに売られ、地元庶民の口には入らない。しかし、地元の人はそれを悔しがることなどない。
確かに小さいので、身は少ないし殻から外すのにも一苦労するのだが、身の甘さに加え、甲羅の中にあるオレンジ色の内子と、卵の外子、それにミソが格別の味なのだ。
地元の人は、その美味しさを知っているのでタラバガニよりも甲箱ガニを好み、市場に届くとすぐに買いあさって無くなってしまう。
そのカニを実家が送ってくれる。始まったのは家内と結婚した年からで、私のカニ好きを知って、ご両親が毎年送ってくれるようになった。お二人ともすでに他界されたが、跡を継いだお姉さん夫婦もそのまま送ってくれている。
家内もそこで生まれ育っているので、当然、好物で食べたがると思うのだが、
「私、小さいときからおやつ代わりだったから、食べたいと思わないの」
と、1杯くらいしか食べない。
おやつ代わりだったからと言っても、美味しいのは変わらない。私に食べさせたいのだろう。お陰様で、残り十数杯は、全部私のお腹に入る。もちろん一晩で食べてしまうのではない。二杯ずつを六,七回に分けていただいている。
本当にありがたく、私に食べさせようと我慢している家内、そして送ってくれる実家に心から感謝している。
カニの食べ方はいろいろあるが、酒飲みというのは、その美味しさを倍加してくれる日本酒を必ずお供にする。それも、人肌の燗酒だ。
時には、甲羅に熱い酒を注ぎ、ミソを溶かしていただくこともある。
我が家でも、カニには熱燗、それも人肌と決まっている。酒の種類は、辛口だ。それを「ちろり」で温める。
石川県の地酒では「天狗舞」などの三大銘柄に加え、「加賀鳶」などが有名だ。隣の福井県では「蟹至福」などが挙げられる。地酒の話になると大変になるのでこの辺でしまいにするが、温める酒器の「ちろり」が、これまた素晴らしい。
昔、赤ちょうちんで一杯やっていた頃、店では、直径30センチくらいの鍋でお湯を沸かしていて、その中に、二合ほどのお酒が入るアルミ製の「ちろり」で燗をつけていた。
我が家の「ちろり」は、同じように二合のお酒が入るが、材質は結構重たい錫だ。陶器の器と木枠がセットになっていて、名前は『蓋付き錫ちろり ミニかんすけ』。お値段は少々張って、二万円前後なのだが、これを家内が、「カニは人肌の熱燗に限る」の私の言葉を聞いて、誕生日祝いに探して贈ってくれた。
陶器にチリチリの熱い湯を入れ、そこに酒の入った「ちろり」を浸ける。すると熱い燗酒になる。少し冷ましたお湯で浸けると、丁度飲み頃の人肌になる。
冷酒を飲みたいときには、「ちろり」を冷蔵庫で冷やし、陶器には氷水を入れることで簡単に作ることができる。同様にして、冷たいワインもいただける。
最近、電子レンジで温める「レンチン」なる言葉が聞かれるが、そんな即席の方法では味もそっけもない。風情もない。
「ちろり」を使うと味がまろやかになるという。
能書きには、『香りが冴え、お酒自体に芳醇さが増し、まろやかに、また口当たり良くおいしいお酒が飲める』とある。錫は、熱伝導性が高く、イオン効果もあってお酒をまろやかにするのだそうだ。確かに、「ちろり」を前にしてお酒を飲むと美味しく感じる。なので、同じ錫製の猪口も買い求めて、冬の晩酌を楽しんでいる。
この頃は、その効能を信じて高価な大吟醸や吟醸酒の代わりに、庶民的なパック入りのお酒を飲んでいる。それでも、美味しく楽しめていられるのは効能のお陰か。いまではかなりな節約モードになっている。
ひょっとしたら、家内の思惑はここにあったのかもしれない。
そういえば、「ちろり」をくれた時に、こんなことを言っていた。
「どんなお酒でも、これで飲むと美味しいらしいわよ」
そこら辺の意図があったのかどうかわからない。そうだとしても、美味しい甲箱カニと、美味しいお酒を楽しませてくれる「ちろり」を贈ってくれた、家内の優しい心遣いに感謝している。