百十回記念 筒井 隆一
前面三方を取り囲む大きなガラス戸越しに、手入れの行き届いた、緑一杯の日本庭園が広がる。庭園からの光の差し込み具合によって、時と共にコンサートホール内の明暗、色調が変わるのが、とても魅力的だ。
ここは、国立市の一橋大学キャンパスに隣接する、「佐野書院」ホールである。初代学長が、私邸を大学に寄贈し、改修、保存されている、格調高く由緒ある建物だ。
フルート独奏団「ナナカマド」は、西武鉄道沿線に住む、当時の日本フルートクラブ会員に呼びかけがあって、平成五年秋に誕生した。
どんな難曲でも、初見で合わせてくれるピアニストに、練習してきた楽譜をその場で渡し、伴奏してもらう。会則などややこしいものはない。
演奏を始めたら、「止まらない」「戻らない」が唯一の申し合わせだ。また、他人の演奏を一切批評しないのも、会の約束ごとである。
会の名前は、当初「西武沿線の会」としていた。しかし、それではあまりにも味気ない。毎回例会終了後、二次会で利用する所沢駅ビルの居酒屋の名前を頂戴して、「ナナカマド」と名付けた。
その「ナナカマド」の会が、何と25年間続いた。そして3か月に一度開いている例会も、節目の100百回記念例会を、今日この「佐野書院」ホールで、迎えたのだ。
常時活動している会員は、現在12名ほどだが、例会、発表会に、以前参加されたOB、OGにも声掛けし、お誘いしたところ、8人のなつかしい仲間が参加してくれた。
ホールに隣接した部屋に、国立駅前の喫茶店からコーヒーと紅茶のポットを、ケータリングしてもらった。クッキーなどの茶菓子も用意して、新旧会員が演奏の合間に、自由に利用できる段取りをした。
今日の演奏は、参加者自身の「思い出の曲」の独奏と、フルート四部の合奏、そして最後は、参加者の全員合奏で締めくくるプログラムとした。
思い出の曲については、「ナナカマド」に在籍した期間の思い出、自分のフルート人生での思い出、どちらでもよいが、それぞれ曲目の選定理由を1~2分で説明してから、演奏に入る。
前半の独奏の最後に、バッハの『ガヴォット』と、ハイドンの『セレナーデ』を、四部合奏した。「ナナカマド」は、フルート独奏団と称している。普段の例会ではソロが中心だ。しかし、四部の合奏は迫力があったし、何より皆で一つの音楽を創り上げる、という楽しさが感じられた。
いつもは、私たちの伴奏をしてもらうピアニストにも独奏をお願いし、モーツァルトとショパンの小品を二曲弾いてもらった。また三年前から、金のフルートをギターに持ち換えたOBも、『サラバンド』『アルハンブラの思い出』を演奏してくれた。
申請のあった思い出の曲の独奏を、全員が終え、フィナーレは、ジョップリンの『ストレニュアス・ライフ』の全員合奏だ。この曲は会の創設当初から、ことあるごとに合奏してきた。前回の節目、五十回記念例会でも、参加者全員で合奏している。
限られた時間ではあったが、なつかしい仲間たちと、素晴らしい会場で、楽しく充実した時間を過ごせた。
会を仕切る世話役として、私はこの20数年間、例会を一度も欠席することなく、参加してきた。振り返ってみると、いろいろ考えさせられることも多い。
まず、この25年間で、「ナナカマド」も、着実に高齢化が進んでいることだ。
創設時代からの年配者は、
「世話役が段取りしてくれるから、例会に参加して笛を吹くのは、とても楽しい。しかし、自分が練習会場の予約や、会員への連絡、二次会の段取りなどはやりたくないし、できない。そんな役が回ってくるなら、会をやめる」
一方、意欲的な若手は、
「自分の音楽性向上のために参加したのに、気ままに楽しんでいる、おじさんレベルの音楽とは、付き合いきれない」
規模の大小はあれ、組織を立ち上げ、仲間と充実した活動を続け、さらに若い人たちにスムーズに引き継いでいくのは、大変難しい。
反面、この集まりが、今後どのように展開していくのか、想像力を維持して見守る楽しみがある。
次の記念例会の設定は、どうしよう。「ナナカマド」が150回まで続けば、12年後になる。それまで元気に笛を吹いていられるだろうか。次の目標は、110回でどうだろう
イラスト:Googleイラスト・フリーより