一陽来復 筒井 隆一
7年前の東日本大震災で、親しい友の、石巻に住む娘さん一家が被災した。夫婦は助かったが、3人の子供(友人の孫で、当時13歳の長女、10歳の長男、8歳の次女)が津波にのまれた。
彼は小学校時代からの友人で、年に3~4回、地元中央線沿線で飲む、気の合う仲間だ。一度に3人の孫を失ったショックは、小さいわけがない。しかし彼も奥さんも、意識的に極めて冷静にふるまっており、私も彼と会う時には、震災の話には触れぬよう、気を遣っていた。
お互いそのような気遣いを7年間続けていたが、先日彼からメールが入った。
「娘が石巻で被災しましたが、7年目を迎えて、いま元気に暮らしています。その姿を描いたドキュメンタリー映画が、公開されました。先日試写を見てきましたが、暗く悲しい物語ではなく、明るい話題として描かれて、好感を持ちました。時間があれば、観てください」
と書いてある。案内をもらったので、家内と二人、新宿の映画館に出掛けた。
映画は、宮城県石巻市、南三陸町、福島県川内村、岩手県釜石市など、震災で大きな被害を受けた地区の、代表的な家族、人物の今を取り上げた、ドキュメンタリーである。
農業、漁業、牧畜業、花屋、飲食店経営など、10例近くが取り上げられている。特に心に残ったのは、彼の娘さん夫婦のその後の生活と、牛飼いを続けている人の考え方だった。
娘さんの主人は東京で修行し、故郷石巻に戻った木工のプロである。長女の小学校入学を機に、家族で故郷石巻に戻り、自身の工房を開いて、遊具から家具、小物まで、さまざまな木製品を作っていた。
震災で家も工房も、そして愛する子供たちも、一瞬に全てを失ったときには、
「生きていても地獄があるのだ」、と思ったと言う。
同じ石巻に、語学指導の交流で来日し、震災の三年前から地元の小・中学校で英語を教える、米ヴァージニア出身の、テイラー・アンダーソンさんがいた。震災当日、勤務先の小学校で児童を避難させた後、自転車で自宅に戻る途中、津波の犠牲になった。
震災後間もなく、彼女の両親は全米から集まった寄付金をもとに、NPO『テイラー・アンダーソン記念基金』を立ち上げた。
二人は毎年石巻を訪れ、24歳で亡くなった娘が生きていたら何をしただろうかを考え、被災者にさまざまなサポートをしてきた。
「震災後生きてこられたのは、寄り添ってくれた人がいたから。今度は自分も寄り添う側の人間になりたい」
震災後、仕事をする意欲を失って、悲嘆にくれていた木工職人のご主人が、仕事を再開したのは、アンダーソン夫妻と、子を失った悲しみを共有し、以後固い友情で結ばれてからである。
アンダーソン夫妻は、テイラーさんが勤務した石巻の7つの小中学校に、『テイラー文庫』として、国際交流、異文化の理解、などをテーマにした英語の本を、毎年寄贈している。その書籍を納める木製の立派な本棚は、木工職人のご主人の作である。
もう一つ心に残ったのは、福島県浪江町で、300頭余りの肉牛を預かり、飼育していた牛飼いについての話題だった。
震災後、放射能を浴びた家畜は、殺処分するよう指示が出された。
しかし、たまたま自分の牧場が規制線上にあったため、殺処分をまぬがれた。牛飼いであれば、牛たちを見捨てるわけにいかず、世話をし続ける。牛は大切な仲間であり、人間はその命をどう扱うかが問われている。
経済的に全く意味のない牛を、6年以上、しかも300頭以上も飼い続けている。殺処分するのか、このまま生かし続けるのか、幾通りも正しさがあって、それは全部正しい、と彼は言う。
映画や芝居は、作り話を演技するものだ。原作で訴えるものが、果たして正しい形で我々に伝わってくるものか、私は疑問と偏見を持っていた。
しかし、今回の『一陽来復』は、つらい思いをした人たちの、ありのままの姿、言葉を大切に撮っている。
この映画は、大切なものは何か、それをもう一度考えるきっかけになった。