鉛筆けずりと包丁研ぎ 三宅 祥子
戦争が終わり二年して私は小学生になった。
学校に行きランドセルから出した筆箱を開けると、きれいに削られた鉛筆が三本並んできちんと入っていた。きっと私が寝た後に父が削ってくれたのであろう。たしかコーリン鉛筆だったと思う。
父の削り方は見事であった。
昭和二十三年頃にはくるくる回して削る手軽な鉛筆削りなどはそう出回っていなかったのかもしれない。小刀で削り、その力の入れ方がふっくらとしてふくらみがあり、三百六十度平均して力が入っていた。削り方になんとも言えない品があるのだ。
私はその刃先の手加減に憧れて、何度も自分でやってみるのだが、いつまでたっても上手にならない。意気込むと深く小刀の刃が入ってしまい、鉛筆はやせ過ぎた貧相な感じになってしまう。
戦争直後のキズだらけの粗末な学校机の上で、父のふっくら削りの鉛筆は嬉しい贈り物であったし、充分な幸せを感じさせてもらえた。
いまはもう鉛筆削りをする機会はないが、あの頃の世情の中で、やっと得た平和な一場面であったと思わせてもらえた。
特に四歳で早世した姉にしてやれなかった思いも親としてはあったのかもしれない。
今日、いつも通っている麻布十番の家族的なスーパーで、古くから顔見知りの店員にレジで
「今日はやる気ですね!」
と声をかけられた。その店は季節の野菜が新鮮だから、どっさりとかごに入った野菜を見てサッと洗って刻んで煮ると読んだのだろう。
にこっとして
「そうよ、今日はちゃんとやりますよ」
と返す。
そんな日、私は台所に立つ前に手順よく動き出す。そうだ、こんな日は少し切れ味の落ちてきた包丁を研いでおこうと決める。
シンク下に置いてある砥石を出して、古新聞の上に置き、使い慣れた菜切包丁を充分に水を含ませた砥石に乗せ研ぎ出す。結婚祝いに頂いた木屋の菜切包丁をずっと使っているので、自分で研げるところが重宝である。
我が家ではステンレス製の包丁やナイフは酸の強い物だけに使っている。愛用している鋼の菜切包丁は六十年になろうとしていて、研ぐたびに少しずつ刃が減ってきている。
なるべく丁寧に扱って、私の命と長持ち競争をするつもりでいるが、年に一度くらいはプロの研ぎ屋に頼んでいる。研ぎ屋さんから戻ってきた時の切れ味は格別で、料理心を弾ませてくれ、楽しみでもある。