A038-元気100教室 エッセイ・オピニオン

1泊2日の「土佐日記」 井上清彦(蒼樹)

 6月4日早朝、羽田空港から高知に向けて飛び立ってしばらく経った頃だ。私の座る窓側から、富士山の位置を探す。目を凝らすと、はたして眼下の雲間に、富士山が見える。「ラッキー!」。広重の浮世絵で見たような、雪の白い筋が縦に流れている。夢中でカメラのシャッターを切る。

 今から27年前の欧州エネルギー調査団参加メンバーで、1年おきに会合と旅を続けている。メンバーが東日本、西日本に住んでいるので、交互に当番を決めている。今回は、西日本の担当で、土佐の1泊2日の旅を企画してくれた。

 龍馬・高知空港で朝10時の集合だ。羽田からの東日本組は、私を含め3名だ。西日本は、九州・佐賀から岩永さんご夫妻、大阪から池田さん、神戸から立道さんの4名、合計7名の参加だ。池田さん、岩永さんとは久々のご対面だ。岩永さんは、ご病気や交通事故の後遺症もあって、奥さん同伴の参加だった。

 運転手がガイドを兼ねる観光タクシーで、空港を出発し高知周辺を観光する。先ず、桂浜に向かう。最初の訪問先、豪族を倒して四国統一を果たした「長宗我部元親の像」に着く。元親が初陣で武功を上げた時の像だ。見上げると鎧兜に、両手に持つ長槍が格好いい。この男前の若武者は、女性にも人気があったという。その元親が初陣の際、戦勝を祈願した「若宮八幡宮」を参拝し、旅の無事を祈った。

 もう一つの見学場所、「坂本龍馬像」を見るため、太平洋に面した桂浜に出る。車を降り、上り坂を歩いて見晴らしのいい高台にたどり着く。白い荒波が打ち寄せる桂浜の長い海岸線と、緑の立派な松並木を見渡す。そして「龍馬像」に対面する。像の見ている方向は、アメリカだとか。維新後の日本の歩みや日米関係を龍馬はどのように思っているのか?

 高知市内戻り、昼食は「ひろめ市場」だ。ここで、タクシーとはお別れだ。
 市場に入ると、60軒もの店が軒を連ねている。好みの店で、食べ物と飲み物を買い、空いている席に持ち込んで食べる。私は、名物カツオ丼を買い求め、ビールは小瓶を探しベルギーの「シメイ」という僧院ビールを見つけた。餃子や、珍味もあり、気楽な雰囲気のなかで昼食を味わった。

 食事後、歩いて近くの高知城に向かう。城壁の岩の積み重なりも本格的だ。石段を何段も歩いて上り、天守閣前に到着した。
 ここまで来たので、皆、靴を脱いで天守閣に登る。天守にたどり着くと、風通しもよく、高知市内がよく見える。帰りの城門前で全員の記念撮影を通りすがりの若者に頼むと、快く引き受けてくれた。どこから来たのと尋ねると、「タイワン」との返事。気持ちの良い好青年だった。
 夜の宴会は、明治3年「陽暉楼」として創業した「得月楼」(映画化された宮尾登美子作「陽暉楼」の舞台となった)。極上の皿鉢料理、大皿二枚が、どんと卓上に並ぶ。盛り沢山で食べきれないと思ったが、中年の和服姿の似合う中居さんが、うまくとりわけ、各自の皿に盛ってくれる。
 爽やかな口あたりの日本酒「陽暉楼」を飲みながら、各自のこれまでと近況を懇談するうちに、二皿は見事に空になった。帰りは、歩いて雨に濡れた赤い欄干が光る「はりまや橋」を見て、ホテルに戻った。

 明けて2日目、朝8時30分に、高知駅前のトヨタレンタカー店に全員集合。立道さんの運転で、高知駅から「四万十川」を目指す。私が、今回の旅で一番行きたかったところだ。沈下橋を見ようと120キロ走り、「三里沈下橋」で車を降りた。近づくと、清流が見えてくる。観光客は見当たらず、鳥のさえずりの他は物音一つしない静かな雰囲気だ。

 川に架かる沈下橋は、欄干もなく、水位が上がった時には、水面下に沈む。橋を渡りつつ、周りの緑あふれる景色や、川魚に目を凝らす。屋形船が水紋を残して橋の下を通り過ぎる。
『鳥唄ふ四万十の碧(あお)夏の雲』 蒼樹

 帰路の途中、「安並水車の里」へ立ち寄る。川の支流に水車が十数基廻っていて、周りの土手の紫陽花とよく似合う里だ。今回欠席だった団長の佐々木さん(一昨年一緒に訪れた奈良井宿を描いて堺市絵画展で入選)好みの風景だ。

 昼食は、中村地域の季節料理店「たにぐち」だ。定食に加えてアオサとゴリの天ぷら、テナガエビのから揚げを、担当の長身・短髪の若い美人に注文した。仕事で何度も高知を訪れている池田さんの選択に間違いなく、文句なしの美味だ。

 食後は、道順を教えてもらった一條神社に向かう途中、店の彼女は、2度も息せき切って駆けつけ、最後尾を歩く私に仲間の忘れ物を届けてくれた。

「得月楼」の中居さんといい、「たにぐち」の女性といい、さすが、「山内一豊の妻」の伝統を受け継ぐ、土佐女の心意気を感じた。佐賀から来た岩永さんの奥様も、ご主人の健康を祈願し、四国八十八箇所の霊場を歩いて達成したという。

 今回の旅の締めくくりとして、一条神社に、旅を無事終えようとしていることを報告しお参りをした。一条家は、遠く五摂家の一つであり、中村の地に下向されて後に、ここにご廟所をお祀りしたという。京文化が根づいている。

 この集まりはメンバーの旧交を温めると共に、新しい発見、素晴らしい景観、郷土料理、等旅の魅力が溢れている。私も、喜寿を過ぎて2ヶ月、1泊2日の短い旅だったが、土佐が大好きになり、生きる活力を頂いた気持ちになった。

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