『エッセイ教室20回記念誌』が発行
06年6月からスタートした、『元気に百歳』クラブのエッセイ教室が、いまや20回を超えた。受講生は熱心で、頑張っているなと、ある種の感慨を持った。同メンバーは合計19人である。病気、所用などで欠席者が出ることから、作品提出・参加者は13~15人くらいだ。開催場所は、新橋区民センターである。
森田さん、中村さん、二上さんの世話役の下で、同教室の運用がなされている。講師の私は添削と講評に徹することができるので、ありがたい。
このたび、『エッセイ教室20回記念誌』が発行された。掲載された数は122作品だ。前回の「10号記念誌」(07年5月発行)は94作品であり、28点も増えている。
作品が提出されても、やむを得ない事情でエッセイ教室を欠席すると、相互に評論する機会をなくす。それらの未掲載作品が4点あった
『エッセイ教室20回記念誌』の発行で、最もおどろいたのスピードの速さだ。発案から、1ヵ月以内で、それを作り上げたのだ。
第20回の教室だった。3人の世話役がスケジュールを決めた。そのうえで、全員に11回から 20回までの作品の再提出を求めた。(講評を受けた、手直し作品が前提として)。
全メンバーがその指示に従って、期限を守っている。そのうえで、世話役三人が冊子のレイアウトを決め、㈱プラニングマーケットで製本がなされ、21回の教室で配布されたのだ。その期間が1ヵ月だった。
『元気に百歳』クラブは、博報堂OBが立ち上げたものだ。横のつながりから鉄鋼、商社、製薬、銀行、大学、メディアなどを歩んできたメンバーによって構成されている。関西、九州にも支部を持つ。どっちをみても、学生時代は超優秀、日本を代表する大手企業の元幹部ばかり。「エリート街道を歩いてきた人たち、やることが違うな。何ごとも熱心で、早いな」そんな感慨を持った。
同記念誌で、私は序文を書いた。4月の春の嵐で、登山中止になり、その日に書き上げたものだ。もし、嵐が来なければ、のんびり構えており、原稿の督促を受けたのではないか。その面では安堵している。
書店に並ぶエッセイ集に比べても、同記念誌は決して見劣りがしない。メンバーは経験豊富で、ほとんどが国際的な活躍してきたキャリアを持つ。それだけに作品の素材がよく、切口の面でも、世間の水準を越えている作品が多々ある。
販売されないようだが、毎月の作品紹介は『穂高健一ワールド』(小説家)で掲載している。
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