フクシマ(小説)・浜通り取材ノート

【寄稿・写真】チェルノブイリ視察報告=大原雄

 作者紹介:大原雄さん

 元NHK報道局の幹部。現在はジャーナリストで活躍されており、日本ペンクラブ理事、電子文藝館「委員会」委員長です。
 同クラブのチェルノブイリ視察(団長・浅田次郎会長)8人の理事メンバーとして、4月中旬、チェルノブイリ原発事故の影響をつよく残す旧ソ連ウクライナを視察してきました。
 8月30日(金)の【脱原発を考えるペンクラブの集い】part2では、パネリストとして壇上で発言されます。
 

チェルノブイリ博物館の内部の説明者


チェルノブイリ博物館の展示資料



チェルノブイリ原発の規制区域



チェルノブイリ原発の規制区域に出入りするマイクロバスの汚染測定


チェルノブイリ市・中央公園に設置された、フクシマのモニュメント


廃都・廃村になった街の名札

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【寄稿・フォト記事】  総理官邸前デモ=石田貴代司

 7月6日(金)盛り上がる「原発再稼働反対デモ」に参加、取材した。前週の金曜日の参加者が主催者発表で15万人と話題を播いていた。

 大飯原発再稼動後はじめての金曜日だ。3時30分ころ、主婦や子供連れも見られた。夕方6時前から降りだした雨にもかかわらず、官邸前最寄のメトロ駅の出口から、勤め帰りの人たちが会場にやってきた。
 主催者と警官の声が一気にトーンアップした。

   <シュプレヒコール>
「再稼動反対」「原発要らない」「総理は交代」など、首都圏反原発連合会などのリーダーの発声に続いてリズミカルな大声で繰り返す。
 官邸前の抗議行動は市民団体有志が3月に始めた。当初は300人だったが、ツイッターなどの呼びかけで、回を重ねるごとに増えている。一昔前の殺伐としたデモと違って、
主催者側いわく「けが人や逮捕者が無いデモで訴えよう」というのが特色である。
日本のデモが大きな転換点にあるようだ。

                            <フクシマを救え>

 国会記者会館入り口の、門扉に立ち上がってプラカードを掲げた青年に聞いた。「このデモと福島復興は、根は一緒だけど、フクシマの復興には、まだ殆ど手がついていない事実を知ってほしいのです。相馬から来ました」と。
駐車場出入り口のミラーに、後ろの舗道にひしめく大群衆が「再稼動はんた~い」を大きく叫んだ。

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東電の社長室に放射能(死の灰)汚染土を送ろう=小出裕章さん

 私の友人から7月7日(土)「商社9条の会」の講演に誘われた。場所は東京・一ツ橋の日本教育会館で、講師は小出裕章さん(京都大学・原子炉実験所助教)、タイトルは「隠された原発の真実」である。雨の日だったが、フクシマ原発の本当のことを知りたい、という参加者たちで、約700人の会場が満席だった。

「原子力には平和利用もない。すべてが軍事にからむ」
 そう主張する小出さんは大学を選ぶとき、原子力がきっと人類に役立つ、という気持ちで原子力工学科に進んだという。
「ですから、ある時期まで、私は加担者のひとりでした」
 小出さんは原子力の平和利用に懐疑的になった。いまでは国家にたてつく、数少ない原子力研究者である。

 100万キロの原子力発電所は一日ごとに、広島・長崎3-4発分に相当する、核分裂反応を行わせる機械である。
「あらゆる機械には絶対安全はない。東電はウソ、だまし、脅しで、国民を欺いてきた。これらはフクシマ原発事故で露呈した」
 1966年からわが国は原発を作り続けてきた。法律では、大都会に原発を作れない。(非居住区、低人口地帯)、過疎化の地方が、金と政治で原子力を掴まされてきた。この46年間で、わが国は広島原爆の120万発分の死の灰(200種類の放射能物質)を作ってきた。

 人間には放射能(死の灰)を無毒化する力はない。高レベル放射能を100万年にわたり隔離することができるのだろうか。高レベルの廃棄物は隔離処分しかない。あるときは南極の厚い氷下に沈める、深海に埋める、という案もあったけれど、国際条約で禁止された。いまは深い岩盤の下に埋める、という検討がなされている。

 日本は地震大国である。地震の震源地はさらなる数十キロ下であり、地震が発生すれば地層をバリバリ割ってしまう。100万年の間には、きっと地震で放射能が流れ出す。
「原発はトイレのないマンションと同じで、作ってはいけないものだった」
 国家は原発を推進し、マスコミはそれを宣伝する構造ができあがった。

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東電の社長室に放射能(死の灰)汚染土を送ろう=小出裕章さん

 私の友人から7月7日(土)「商社9条の会」の講演に誘われた。場所は東京・一ツ橋の日本教育会館で、講師は小出裕章さん(京都大学・原子炉実験所助教)、タイトルは「隠された原発の真実」である。雨の日だったが、フクシマ原発の本当のことを知りたい、という参加者たちで、約700人の会場が満席だった。
「原子力には平和利用もない。すべてが軍事にからむ」
 そう主張する小出さんは大学を選ぶとき、原子力がきっと人類に役立つ、という気持ちで原子力工学科に進んだという。
「ですから、ある時期まで、私は加担者の間ひとりでした」
 小出さんは原子力の平和利用に懐疑的になった。いまでは国家にたてつく、数少ない原子力研究者である。

 100万キロの原子力発電所は一日ごとに、広島・長崎3-4発分に相当する、核分裂反応を行わせる機械である。
「あらゆる機械には絶対安全はない。東電はウソ、だまし、脅しで、国民を欺いてきた。これらはフクシマ原発事故で露呈した」
 1966年からわが国は原発を作り続けてきた。法律では、大都会に原発を作れない。(非居住区、低人口地帯)、過疎化の地方が、金と政治で原子力を掴まされてきた。この46年間で、わが国は広島原爆の120万発分の死の灰(200種類の放射能物質)を作ってきた。

 人間には放射能(死の灰)を無毒化する力はない。高レベル放射能を100万年にわたり隔離することができるのだろうか。高レベルの廃棄物は隔離処分しかない。あるときは南極の厚い氷下に沈める、深海に埋める、という案もあったけれど、国際条約で禁止された。いまは深い岩盤の下に埋める、という検討がなされている。
 日本は地震大国である。地震の震源地はさらなる数十キロ下であり、地震が発生すれば地層をバリバリ割ってしまう。100万年の間には、きっと地震で放射能が流れ出す。
「原発はトイレのないマンションと同じで、作ってはいけないものだった」
 国家は原発を推進し、マスコミはそれを宣伝する構造ができあがった。

 フクシマ原発事故で、セシウムが広島の原爆170発分が大気中にばらまかれた。
「子どもへの影響が心配だ」
 と小出さんは心から心配する。
 人間は精子と卵子が一つに結合してから、分裂していく。細胞分裂により、遺伝子が伝わる。放射能はその遺伝子に悪影響を与える。
 これまで法律で(大学の原子力研究所などを含め)4万ベクトル以上は放射能管理区域とし、放射能で汚染された物は域外にもちだしてはいけない、とされてきた。つまり、それらで被爆したら人体に影響を及ぼす、と厳重な管理がなされてきたのだ。しかし、フクシマ原発事故で、それを反故にしてしまった。
 3.11原発事故の後、北風が吹き、放射能が南下してきた。従来の放射能管理区域(4万ベクトル/一㎡)以上のレベルが現在確認されているのは福島県、栃木県、茨城県、千葉県、東京都の一部地域である。
「年寄りはさほど影響はない。乳幼児が最も危ない。一つの遺伝子が壊されると、それが次々と細胞分裂から疲弊して広がっていくからです」
 東京電力、国会議員、地方議員、学者は誰一人責任を取らない。
「それらの人たちを選び認めてきたのは私たちです。私たちの世代の責任です。私たち自身がどう責任を取るか。個々人がいかなる方法があるのでしょうか。放射能はもともと東電の所有物です。フクシマ原発の汚染された土壌の表土をはぎ取り、宅配便で持ち主・東電に送り返そう。そこからスタートしたらいかがでしょうか」
 小出さんの提唱で、喝采を得ていた。

四度目の一時帰宅=鈴木會子

作者紹介:鈴木會子さん。

住所は福島県双葉郡楢葉町山田岡(フクシマ原発から約20キロの地点)です。
原発事故で、故郷を追われ、いまは東京・葛飾区で仮住まいしています。
『詩・一時帰宅』の寄稿などがあります。

写真:現在の仮住まいの都営住宅にて

四度目の一時帰宅 鈴木會子

   誰とも会えない
   人の住まない町
   止まったままの時間
   地割れした道路
   シートをかぶった家々
   屋根瓦が
   家の前うしろに
   散乱し
     3月11日のまんま
   自宅まわり
     背丈ほどに
   伸びた雑草
   畑も庭も
   植木の松が
     傘の様に、枝をのばし
   枯れた
     みかんの木
   自由に伸びた草花
   クリスマスローズが
     花ざかり
   こんな所が
     放射能が
       高いのか…
   夫は顆粒の
     草消しをまく
   屋敷まわり、庭と、
     二時間もかけて
   ここへ戻る
     時の為に…
  
                詩と写真 : 鈴木あい子

 飼い猫が茶の間から出られず、廊下を通り、おばあさんの部屋のガラス戸を、自ら開けて出て、生きていました。
 一か月後、2匹は助け出せました。6カ月後、もう一匹を助け出しました。
 
 この間に、猫たちが生きるために、苦しみ、障子を破った爪痕です。やがて、鍵のかかっていなかった硝子戸を、猫の手で開けたのです。



 あのときは何も連れ出せず、鳥たちがカゴのなかで悲惨な死骸となっていました。
 
 一時帰宅は防護服を着た、限られた時間です。ただ撮影するしか手はなかったです。

 葬ってあげる時間もありません

【寄稿・フォトエッセイ】フクシマ原発14キロからの訴え=石田貴代司

石田貴代司さん=シニア大樂の「写真エッセイ」の受講生
         東京・世田谷区に在住
         「アマチュア天文家」として、
         同区の地元プラネタリウムが主催する星空観測に出向いています。 
             

フクシマ原発14kmからの訴え  石田貴代司

 日差しが強い土曜日の午後、渋谷スクランブル交差点の一角に、小型バンに檄文看板を立てて訴えているのは浪江農場の吉沢正巳氏だ。

「農家が飼っていた家畜の商品価値はゼロ、自分の家にはもう帰れない、チェルノブイリになってしまった。絶望の淵で農家の仲間5人が命を絶ちました」

「警戒区域に取り残された家畜の多くが餓死した上に放置されミイラ化していることをご存知でしょうか」


若者の関心に感激した

 若者の街といわれる渋谷で、立ち止まって聞き入るのは、ほとんど若者だ。趣意書にサインをし、吉沢氏に激励の握手を求め、100円玉を箱に入れた。そばの写真は牧場で繋がれたまま餓死、ミイラ化している牛の列、そして爆発でグチャグチャになった原発建屋の拡大写真だ。

 改めてこれらを見聞きして、私もその場に立ちすくんだ。

 立ち入りできない吉沢氏の牧場には、今も300頭の牛が生きている。


この償いは東京電力と国に対し>           

 生き残った家畜についても政府は殺処分を下した。吉沢氏は続けて訴えた。

「被ばく覚悟で世話し続けてきた私には「殺せ」は納得できない。被ばくした家畜かもしれませんが、必死に生きているその命を、生かす方法はないのでしょうか」

 さらに「政府や自治体に対し警戒区域の家畜を被ばくの研究、調査に活かしてほしいと訴えています」と結んで、額の汗をぬぐった。

                  
 

【推奨・図書】いまこそ私は原発に反対します。=日本ペンクラブ編

 私は昨年末、吉岡忍さん(作家)と、ある大学構内で、ふたりして3.11を語っていた。その折、吉岡さんが、日本ペンクラブ(浅田次郎会長)編の原発関連作品の締め切りが迫っていると言い、「老人と牛」のストーリーの一部を語っていた。

 同クラブから、12年3月1日に『いまこそ私は原発に反対します。』(平凡社、1800円)として、発刊された。PEN会員52人が執筆している。編集責任者は同クラブ・編集出版委員会・森ミドリ委員長である。

 短文、短編、詩歌もありで、とても読みやすく、読者が自分の好きな作家の拾い読みをしただけでも、脱原発の声がじわーっと伝わってくるものだ。

 現代の出版は、売れる作品が優先する、コマーシャルイズムに影響されている。同書に掲載された作品は、編集者や出版社に媚(こ)びた内容ではないし、それぞれが作家精神まるだし。思想信条の自由という点からも、現在には数少ない出版物だろう。
 

副題を列記しておくと、
 
 ・「今日のあなたへ、明日のあなたへ

               佐々木譲『Rさまへの返事』他3編

 ・「紡がれた物語
 
               阿刀田高『笛吹き峠の鈴の音』 他8編   

 ・「うたう、詠む、訴える

               アーサー・ビナード『ウラン235』 他7編

 ・「深部へのまなざし

              雨宮処凛『泣いているだけじゃダメなんだ』 他8編

 ・「語り伝えること

              浅田次郎『記憶と記録』 他20編


                       ※長いタイトルの一部は割愛があります  
   
 

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原発を完全廃絶しても、寄港する原子力潜水艦事故のリスクは残る

 日本人はフクシマ原発事故から何を学んだのか。難解な原子物理学が、国民にも平たく理解できたことだ。原子炉が稼動していなくても、炉心を冷やし続けなければ、水素爆発を起こして大災害になる、とわかった。これだけの知識は将来を見通す上で、重要だ。

 一部報道によると、福島第一原発に押し寄せた、津波の高さは約14メートルだったという。原発の防潮堤は遥かに下回る5.7メートルでしかなかった。その結果、津波は原子炉の冷却装置を壊し、炉心部が解けるメルトダウンにまで及んでいる。

 東電は一方的に問題視されている。だが、マグニチュード9.0規模の大津波の予知、予想能力があれば、フクシマ原発はそれに見合った建設設計がなされていただろう。地震学の権威者すら、大津波の規模を予想できなかったのだ。いまさら東電を責めても仕方ないことだ。ただ、原発「安全神話」は崩れたことは確かだ。

「過去から原発には警鐘を鳴らしていた」
 そう発言する人が竹の子のようにメディアの前に現れた。そして、東電バッシングをしている。東電の利権にまで批判が及ぶ。なかには、放射能汚染によって何年も、何十年先までも、廃墟の町になる、と恐怖を煽りにあおっている。

 1945(昭和20)年8月6日、広島に原爆が投下された。市街地は完全破壊された。大勢が死んだ。と同時に、残留放射能の濃度は高かった。
「広島には100年間、草木は育たない」と言われたものだ。翌月から、広島の復興に大勢の人が入ってきた。原爆ドームの周りは植物も育ち、水も浄化されてきた。数年にして、完全廃墟の町を再生させ、西日本最大の都市にまでなった。
 福島原発事故の惨状がまだ収束していない。フクシマ原発の冷却装置が正常に戻れば、周辺住民の復興は早まるのではないだろうか。それは広島・長崎の経験から推量できる。

 脱原発の意見が飛び交う。環境にやさしく、人体に無害な代替エネルギーはあるのだろうか。水力発電のダムは山岳地下水を遮断し、山を破壊している。火力発電所は大気汚染に悪影響を与える。風力発電は地域住民の体調不良が報告されている。ソーラーシステムはコストと発電能力に問題がある。

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東京に原子力発電所をつくろう

 原発「フクシマ」は世界的な用語となった。広島・長崎に続くものだ。大災害となった福島第1原発の東電関係者たちは、命をかけた、最大限の努力をしている。メディアに登場するコメンテーターが、対応の遅れとか、あれこれ当事者や政府関係者を批判している。「だったら、あなたが放射線の危険に飛び込んで、死の覚悟で処してみろ」と腹が立つこともある。

 
原発「フクシマ」の20キロ区域の住人は、立ち退きが命じられた。大津波による、家屋倒壊、生きているかもしれない人も探せない。命ある家畜も見捨て、漁業も船舶を失い、農業も放射線で放棄させられている。そのうえ、不便で窮屈な避難所生活である。さらには、他の都府県に強制移住である。先々の生活がまったく見えない窮地に陥っている。

 首都圏など「計画停電」の対象エリアの人々は、ガス風呂すらもモニターが電気だから使えない。TVも見られない。スーパーも郵便局の機能も停まる。オール電化の家庭は最悪だ。家庭内の機能はすべて停止する。実際に、ロウソク生活だ。

 他方で、東京23区の住民は「計画停電」の外にある。毎日、TVを見て、暖房の部屋で暮らし、好きな時間にシャワーを浴びられる。買い物に行けば、店舗は停電もなく動いている。電気は不自由なく使える。ある意味で、安穏と暮らしている。

 計画停電地区とはあまりにも違いすぎるれ。これは公平・平等の原則に反する。早晩、大反発が出るだろう。

 同原発は再起できるのか。原子炉が回復しても、運転再開となると、かなり難しいだろう。となると、電力供給は先行き、恒常的な不足となるだろう。
もし「フクシマ」原発が廃棄となれば、電力不足による、首都圏の経済は大幅に落ち込む。

 電力が不足すれば、自治機能も、企業活動も、学校も満足に活動できない。結果として、経済が低迷し、個人所得は低くなる。貧しい日本になる。
 冷え切っていく首都圏経済を立て直し、個人所得を確保し、従来の生活の維持を図るならば、電力供給の回復は必須だ。その電力供給はどう図るべきだろう。もはや、そこまで論議するべきだ。

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