A055-フクシマ(小説)・浜通り取材ノート

私にはわからないのです

 私はいま現在、フクシマに取材に入っているフィクション作家として、最多ではないかなと思います。むろん、地元作家を除いてですけど。

  福島第一原発事故の被災地を取材していても、東京で作家仲間と語っていても、私にはわからないのです。「反原発」は理解できても、何をもってしてエネルギーを作るべきか、と。

 人間が「火」「電気」の2つを使い始めたときから、地球環境の破壊がはじまっています。

 ・水力発電は山野を壊す。

 ・火力発電は、地球上になかったダイオキシンを生み、人間の遺伝子を壊し、温暖化、北極・南極の氷を溶かし、オゾン層を壊す。そのうえ、再生できない化石燃料を使い果たそうとしている。

 ・原発はご存じのとおり、使用済み燃料の処分方法がない。

 ・ソーラー発電は地球の人口規模で考えると、広範囲に野山を壊し、平面で地表を隠し、水蒸気の蒸発を阻害し、日照時間が長くなり、砂漠化への道につながっていく。

 ・風力発電も、低周波の人体被害がある。


 作家はいま生きている人間の姿を表現することができます。しかし、将来の指針・方向性をジャッジする職業ではありません。決めるのは政治家や行政、そして市民の人たちです。 

 エネルギーの選択は私にはわからないのです。常日頃から、原発問題を語る人には、上記のどのエネルギーを選ばれるのでしょうか、教えてほしいな、と思っています。

 私は作家として、原子力発電の真の問題は、
「リスクに対して嘘をつかない」
「金をばらまかない」
 という倫理の問題なのかな、そこらが問われるべきではないかな、と考えています。それならば小説の中に組み入れられる。きょうもそんな結論のでない想いで福島へ取材の足を運んでいます。
 
 
                写真:2013年5月31日、浪江町(第一原発から6キロ地点)
                    双葉町には入れませんと、説明を受ける 

【撮影:滝アヤ】

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