農夫が語る、田畑の荒廃、そして野生天国=南相馬
飯館村で酪農家から取材した、翌5月31日から南相馬に入った。3・11大震災で多くの被害が出た南相馬市に、私ははじめて足を踏み入れた。
まずむかった小高地区は平坦地である。大津波で甚大な被害を受けた。しかし、従前の南相馬をまったく知らないので、被害の大きさは理解できなかった。ただ、民家もなく海辺からの荒涼とした、雑草が茂る風景だった。
乗用車が横転しているし、ガレキが未処理の場所もあった。
農家の70歳前後の男性から話を聞くことができた。
「南相馬は大津波と原発事故が重なった。3・11震災直後、多くが郡山方面に逃げた。そのさき全国だよ。ほとんどの住民が未だにもどってきてない。だから、田畑は荒れ放題になってしまった」
私の目で見ても、現実に雑草と、セイタカアワダチソウ(黄色い花)が伸び放題だった。
「従来は、年3回の雑草の刈り取りをしていた。それがやれなくなった。畑は放置しておくと、なぜか柳の木が生えてくるだよね。いまは消毒の空中散布ができないし、虫が繁殖した。すごいものだよ」
秋口になると、これら虫が冬眠するために、住宅に入り込み、カーテンにびっしり着く。洗濯物にも着く。それには恐怖すら感じるという。
立木は枯れてくる。放射能が低線量でも続くせいか、虫のせいか、それはわからないという。梅の実は皺だらけで落ちていく、と一例を示していた。
「野生動物は増えた。目に余るよ。タヌキ、イノシシ、ハクビシン、居るはずがないアライグマまでも増えた」
イノシシは年に1、2回の出産で、2から3匹らしい。ところが、養豚場から逃げ出した豚(多産系で、一度に10匹以上も産む)と交尾したから、繁殖率が高い。だから、『イノブタ』がメチャメチャ増え、田畑を荒らしまわっていると嘆く。
「キツネがいれば、まだよかったのに」
農夫がふいにそう言った。
「なぜですか」
「キツネはタヌキやイノシシの子どもを襲って食べるんだ。原発と関係ないが、キツネが疫病で減っているから、ここは野生天国になった」
「牛が牧場から逃げ出している、と聞きましたけれど?」
南相馬に野生化した牛は来てないという。
「乳を搾る、綬乳牛は『スタンチョン』という首かせをはめられているから、原発事故の後、住民がいなくなったし、逃げられず、餓死して死んだ。ただ、放牧牛は逃げて、浪江の町中を歩いているらしいよ。水さえあれば、牛は野山で生きていける」
楢葉町の住民が、取材のなかで、、動物愛護団体が柵を外したからだと怒っていた。この農夫も、食肉用の牛は牧草だけでも、十分に生きて行けたはずだという。牛にとっても、無人の街なかをノソノソ歩くメリットもないだろうな、と思えた。
「うちの息子は千葉県に逃げている。放射能の人体への実害がどの程度かわからない。孫を想うと、南相馬に帰れと言えない」
そう前置きしてから、双葉郡の住民はもっと深刻だという。
「メディアは、いまにも帰郷できるといって報道しているが、人が住むには水を解決しなければだめだよ。木戸ダム(楢葉町)は汚染されている。除染がなされていない山奥の川や沢から、ダムに水が入ってくる。汚染水をため続けている。少なくとも、住民は危ない水だと思っている」
このダムは広野町、楢葉町、富岡町、大熊町、双葉町の水道水を供給している。
「上水はペットボトルで飲めるにしても、問題は下水だよ」
双葉地区はかつて東電・原発からの補助金で、町村で下水道を完備していた。3・11大津波で楢葉町の下水処理場などは破壊されている。
「いまさら、汲み取り便所の生活をしろ、と言っても、無理だよ。少なくとも、若者はそんな生活を望んでいない」
最も重要な水の解決が長引けば、全国に散った避難者はますます戻ってこない。その理由として、
「なぜならば、子どもたちは避難先の小学校、中学校で卒業すれば、そこが故郷になるからだ。卒業した学校が母校になるし、友だちも卒業仲間が中心になってくる」
たしかに、子どもたちの故郷意識はそうなるだろうな、と農夫の話には説得力があった。