A055-フクシマ(小説)・浜通り取材ノート

フクシマ望郷 「こんな家にはもう住めないな」 = 楢葉町

 私が会津盆地を訪ねた時は、道路わきにはまだ雪が残っていた。山おろしの風は冷たかった。盆地の四方を取り巻く連峰は、尾根筋や谷間にも白雪が残っているので、なおさら冷たく思えた。

 福島県・楢葉町(ならはまち)は町内の海岸に、福島第2原発があることで知られている。
 3・11の翌日、第一原発が水素爆発の恐れがあるぞ、と情報をいち早く得た。住民らは車に飛び乗り、目的地が定まらないまま、懸命に西の方角に逃げた。ひとまず、いわき市内の学校で避難所生活に入った。
 やがて会津盆地にある、ここ会津美里町へ集団で移転してきた。役場機能も移り、仮設住宅もできた。フクシマ原発事故で故郷・楢葉町を追われから、約2年の歳月が経っている。仮設住宅の談話室で、町の人たちから話を聞くことができた。

「浜通りには四季がありますが、会津には夏と冬しかない。2年間、ここで暮らしてみると、春と秋はすぐに通り過ぎてしまう」
 そう語ったのは仮設住宅の二代目・自治会長(45)だった。

「春は早いし、すぐに夏がきます。3・11の年、最初に一時帰宅した、あの夏の景色も忘れられません。ショックでした」
 第一陣は抽選で当たった人からだ。だれもが故郷のわが家が心配だ。抽選に外れた人は避難所の前でバスに向かって手を振ってくれるが、どこかうらやましげだった。

 照りつける真夏の太陽が浜通りの地面を焼きつけていた。車窓から見える地形はほとんど変わらない。災害の痕跡すら見つからなかった。突如として、山間の沼で、乳牛が落ちて浮かんで死んでいる光景があった。強烈だった。
 牧草で育った牛は、沼の淵の体験などなく、水を飲みに来ても踏みとどまれず、滑り落ちてしまったのだろう。
「動物愛護団体が牧場の柵を開いたから、牛が逃げ出してきたんだ。。都会者はなにするのだ。ちくしょう、家畜とペットとは別物だ。ありがたい、と思う人ばかりじゃないんだ」
 牧場主は腹立たしい表情で、吐き出した。
 春先から夏場にかけて、牧草は覆い茂る。食べるものにはこと欠かない。
「牧場の外で、ふらふらした方が、牛には危険なんだ。クソッ。原発関係の作業車が通ったら、牛は逃げ方を知らず、轢き殺されるだけだ」
 牧場主は怒り顔で、バスから降りて行った。

 冷房の効いた町営バスが、あちらこちらの民家の前で停車する。楢葉住民は次つぎと自宅前で降りていく。自治会長の彼もバスから降りた。放射能の防災服を着た、厚いマスク姿だから、すぐさま胸元から汗が流れでる。

 彼の自家は二階建てだった。
「ひどいな。この雑草は……」
 菜園の畑も、宅地も、背丈ほどの雑草が茂る。水が豊富な梅雨を越した今、除草作業がなければ、雑草は自由奔放に伸びている。茫然とされられた、予想外の光景だった。
 雑草は刈らないと庭先へ入れない。この場には鎌を持ってきていない。どこからか鎌を借りてきて草を刈るにも、放射能の人体の影響から、滞在時間は限られている。余裕はない。わが家の中を確かめずして、会津美里町の仮設住宅に戻れない。

 彼は両足で草を踏み倒し、両手で分けて、強引に進んだ。顔の周辺で蚊や虻が飛んでいる。久しぶりの人間の血を歓迎しているのだろう。
 玄関のガラス戸は大地震で割れたままだ。そこまで4~5mと迫っていく。突然、足がやわらかな弾力で埋まった。目視すると、牛の糞が盛り上がっていた。それもあちらこちらだ。不愉快な気持ちにさせられた。
 アクリル製の車のガレージには、3頭の牛が腰を下ろし、大きな目でこちらを見ている。
 牧場主の怒りが自分のものになった。
 
 玄関戸の割れたガラスはいっそうのこと、全部壊してから、手を伸ばし、内側から鍵を開けようと思った。ところが玄関鍵はかかっていなかった。
 311の翌日9時から、全住民が避難を開始した。「西へ逃げて、西へ逃げて」と緊迫した、防災行政無線で、わが生命を考え、同時に老母を車に乗せた。持ち物などは後から取りに来ればよいと、国道を使って一目散にいわき市の方角に逃げた。
 彼はこの折、自宅に鍵をかける余裕などなかった自分を知った。

 原発事故から半年たった今、玄関の三和土から座敷まで、一面に真っ白い埃が溜まっていた。この塵と埃はどの程度の放射能の濃度なのだろうか。見えない毒。それに対する警戒心と不安はぬぐえなかった。恐れながらも、わが家の座敷だから、土足は嫌で、靴は脱いだ。

 和室の天井には汚い雨漏りの跡がある。8畳間の畳は湿ってふやけてカビが生える。キノコが生えている。家屋は住人がいて手入れして、維持できるものだ。半年の無人でも、ここまで廃墟になるものかと驚かされた。
 隣は洋間で、中学生の息子のベッドがある。なんと養豚場の大きな豚が横たわり、10匹ばかりの子を産んで、授乳させていた。豚はこちらの顔を見て警戒するだけで、逃げなかった。この怒りは誰に投げつけて良いのかわからなかった。

 縁側がある奥間に入ると、泥棒が入ったと、すぐさまわかった。座敷テーブルの上に、和タンスの引き出しが互い違いに、丁寧に積み重ねられていた。洋服ダンスの手提げ金庫も消えていた。お金はわずかで、実印や権利書が入っていた。
 被害額は少ないが、泥棒に入られたこと自体が悔しかった。警察に被害届を出しても、放射能汚染の町では捜査などしてくれないだろう。「次の間」と呼ぶ和室の引き戸は開けっ放しだ。泥棒も、豚も、ここから出入りしていたのだろう。
 2階の部屋を確認すると、大型テレビまでも消えていた。盗まれた電化製品はきっと海外で使われているだろう。誰が犯人かという思いを持った。

 彼は犯人の行動を考えた。
(いわき市からの国道には広野町で検問がある。厳重な立ち入り禁止地区だ。泥棒はおおかた山道から入ってきたはずだ)
 彼は生まれ育った土地だけに、山間の林道までも頭に入っていた。
 原発事故で無人化した町だ。警察の治安も放棄されているから、林道やけもの道でも、だれにも怪しまれない。泥棒天国だったのだろう。
 
 彼は室内でしばらく呆然とたっていると、やがて無音の世界だと意識した。3・11前は深夜までも国道の車の音と震動があった。そのトラックの音が微塵もない。耳を澄ませても、なにも聞こえない。やがて、遠くからカラスの鳴き声が聞こえた。

「人がいない町、住人のいない家、こんなにも廃墟になるのか」
 一時帰宅から、重い荷物を背負って持ち帰る気分にさせられていた。
 寝たきりの父親には、この現況は教えられないな、と思った。病身ぎみの老父は特老から介護士の手で避難させてもらい助かっていた。気持ちが萎えている。帰る故郷がなくなってしまったと思うと、がっかりし、気力を喪失し、生きる力まで失くすだろう。

 いま会津美里町で同居する母は足腰が弱い。だが、父よりも、まだ精神的に耐えられるだろう。母親にはこの状況を教えようと思った。この光景を自分ひとりの胸にだけ納めておくには、この先が辛すぎると彼は感じたのだ。

「このまま、こんな家には住めないな、建て替えなければ。楢葉に戻ってきて、そんなことできるのかな」
 そうつぶやながら、自分の故郷はどうなるのだろうか、と彼は案じていた。

「フクシマ(小説)・浜通り取材ノート」トップへ戻る

ジャーナリスト
小説家
カメラマン
登山家
「幕末藝州広島藩研究会」広報室だより
歴史の旅・真実とロマンをもとめて
元気100教室 エッセイ・オピニオン
寄稿・みんなの作品
かつしかPPクラブ
インフォメーション
フクシマ(小説)・浜通り取材ノート
3.11(小説)取材ノート
東京下町の情緒100景
TOKYO美人と、東京100ストーリー
ランナー
リンク集