A055-フクシマ(小説)・浜通り取材ノート

えっ、浜通りで戊辰戦争の戦いがあったのですか(上)=楢葉町

 会津盆地の雪がとけた。
 3月18、19日の両日には福島県・会津美里町に足を運んだ。町の一角には、建設会社の元オフィスを借り上げた、楢葉町の仮庁舎がある。同町は、3・11東日本大震災後のフクシマ原発事故から、行政や住民がこぞって避難を余儀なくされている。


 同教育委員会の歴史専門の宇佐美学芸員を訪ねた。

 芸州(広島)藩は戊辰戦争(1868年)で、仙台藩・相馬藩を相手にした、し烈な戦闘を行った。この『浜通りの戦い』で、多くの犠牲者を出した。戦場は平野、楢葉町、双葉町、浪江町、そして相馬(駒ヶ嶺)という浜通りである。まさにフクシマ第一原子力発電所の被災地である。

 当初、2月に訪問予定だった。仮庁舎の会津美里町の積雪量は半端でないらしく、3月に延期してもらった。この間に、宇佐美さんは一時帰宅を利用し、「フクシマ原発」で役所機能をなくした、無人の楢葉町役場から、芸州(広島)藩・神機隊(しんきたい)の関連資料を運びだし、用意してくれていた。
 双葉郡の大熊町、広野など各町史や資料などから、「浜通り」戦いの諸々を説明してくれた。ありがたかった。

 私は、小説3・11「海は憎まず」の執筆が終わった年末から、『災害文学』の先駆になるためには、フクシマを書くべきではないか、と考えはじめていた。ただ、ジャーナリストの「フクシマ原発」報道から、小説を描くことは本意でないし、そんな手法で書きたくなかった。どこまでも、自らの取材で書く。それが小説家としての信念だった。
 数多くの作家がフクシマ原発に絡んで筆をとっているし、その人たちに任せておけばよい、とも考えてきた。

「小説は人間を描く」ことである。そうだ、核問題の『フクシマ原発』でなく、『浜通りの人』の姿を書こうと私は決めた。テーマは「望郷」である。

 145年前、芸州藩の兵士たちは広島から遠く福島・浜通りにやってきて戦った。(薩長なども含めて)。かれらは望郷の念を持ちながらも、戦いで数多くが死んだ。

 現代では、浜通りの人はフクシマ原発事故で「ふるさと」からの避難を余儀なくされている。なぜか、会津美里町や二本松とかである。福島市や郡山市では受け入れていない。そこには戊辰戦争の影(怨み?)がチラついている見方もあるようだ。
 フクシマ原発事故の避難者は数万人がいる。当然ながら、肩身の狭い思いをし、一方で強い望郷の念を持っているはずだ。

 145年の距離があったにしろ、ふたつの望郷感を重ねあわせれば、かならず共通するコアがあるはずだ。歴史小説と現代小説はジャンルが違う。それだけに小説技法の難易度は高い。だが、やればできるはずだ、望郷感を書くぞ、と決めた。そして、年初から取材を開始しているのだ。

 歴史小説はまず史料・資料の精査が必要だ。フクシマ浜通りと広島との双方の郷土史家、学芸員、研究者の協力が必要だ。
 小説としては魅力ある人物を克明に描くことである。それには人物(主役)の絞り込みは不可欠だ。誰にするべきか。【つづく】

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