A055-フクシマ(小説)・浜通り取材ノート

小説取材ノート(37)「浜通り」=戊辰戦争とフクシマ原発

 3・11の小説取材で、三陸沿岸地方の取材を開始したのが、2011年の11月からで、最初の訪問先は宮城県・閖上だった。その後は大船渡、陸前高田、気仙沼、気仙沼大島、南三陸町、女川などの被災地を回り取材した。
数多くの被災者や関係者から、長編小説が十二分に書けるだけの取材協力が得られた。まる1年が経った今、350枚(400字詰め)の作品を書き上げた。

 3・11の小説取材はこれで終わりでない。これまでの取材先を長くフォローし、被災後の推移を追う。それは当然だが、釜石から宮古とか、東松島など訪ねたことがない、そうした先にも出向いてみたい、と考えていた。

                               上空写真提供:在日米軍


 一方で、私は幕末芸州(広島)藩の取材を4、5年間にわたり続けてきている。その都度、浅野家(藩主)の関連資料は「原爆でなくなった」という壁に突き当たっている。それでも、あきらめず、折々に広島を訪ねている。
 幕長戦争(長州征伐)、大政奉還・鳥羽伏見の戦いまで。その先の戊辰戦争の資料は入手できているが、「蚊帳の外」に置いていた。
 奥州列藩の最強だった伊達・仙台藩を打ち破り、降伏させた芸州藩は後世の歴史家や歴史小説家は取り上げない。会津陥落の陰で、芸州藩は評価されていない。私の関心もそのていどだった。広島を歩けば、戊辰戦争と芸州藩の関連資料はごく自然に集まるし、私なりに豊富に持っているが、書棚に眠っていた。

 一昨年、幕末史の講演依頼から、会津城の陥落(開城)関係で現地取材した。それでも、私自身は他の戦いに関心が及んでいなかった。

 2013年度の取材計画を考えるうちに、
「まてよ。戊辰戦争で、芸州の神機隊(長州の奇兵隊に類似した戦闘部隊)が、瀬戸内から軍艦で来て、いわき平に上陸し、浜通り(福島県)を北上し、相馬藩、仙台藩とし烈な戦いをおこなった。東電福島第一原発あたりではないだろうか?」

 私は3年前に、広島・呉市の内科医で歴史研究家・武田正視さんを訪ねたことを思い浮かべた。著作『木原適處と神機隊の人びと』を頂いている。(木原適處は、坂本龍馬〈いろは丸沈没後〉に芸州藩の軍艦を貸与する道筋をつくっている)。その書物を開いた。

「まさにずばりだ。フクシマ原発のある海岸線で、激しい戦をしている」
 戦場は平野、楢葉町、双葉町、浪江町、そして相馬(駒ヶ嶺)という浜通りだった。

 神機隊の隊長・高間省三は、高瀬川の攻防で、正面から自ら斬り込んで、顔面に銃弾を受けて戦死している。(満20歳で逝った)。JR双葉駅に近い自性院にいまも眠る。
「フクシマ原発から、すごーく近いし、その墓地には近づけませんよ」
 かつしかPPクラブの鈴木會子さん(楢葉町から避難)がそう話す。
「だれか郷土史家を知りませんか。教育委員会の方でも」
 私の取材の血が騒ぎ始めた

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