ミステリーの謎解きしながら、ランニング=創作の裏舞台
東京マラソンの抽選に外れてから、ここ2年余りは、距離を走る気力が薄まっている。ランニングは好きでも、目標がないと、雑誌の原稿の締め切りがある、日本ペンクラブの記事を書く、各教室の受講生たちの作品添削、さらには連載ものの遠方の取材旅行がある。走らない理由はいくらでも思いつくものだ。と同時に、走る距離が減になっている。
「ミステリーを書く人は頭がよい」と言われることがある。それは間違っている。読者は悧巧だし、目が肥えている。作中の難問に対して、読者以上に、作者は考える時間が多いだけのことだ。
ミステリーの謎解き、サスペンスの危機一髪からの脱出など、主人公には難解な問題や事件を突きつける。書いた段階では、作者も解決方法などがわかっていない。
作者も考えが及ばない。そのほうが質の良いミステリーになる。解決の難易度が高いものほど、作品に対する読者の求心力が強まる。それこそが上質のサスペンスだと思っている。
「どう解決するかな」
私は山に登ったり、走ったり、身体を動かしながら、あれこれ考える。解決の難易度が高いと、苦しい。何日もかかる。走りながら試行錯誤していると、ふいに解決方法が見つかったりすると、うれしいものだ。
雑誌『島へ。』に連載ミステリー小説「海が燃える」の執筆がはじまった。6月1日発売の54号は「海が燃える」の第2回目だ。
そこでは、主人公の鎌田雄次が、一瞬のタイミングが狂いから、夜の桟橋から海に落ちる。フィッシング・ジャケットの後ろ紐が桟橋の鎖に引っかかった。そこにフェリーが入港してくる。押しつぶされる寸前に陥った。そして、次回に続く、となっている。
私には未だに解決方法が見えていない。どうしたら脱出できるのか。机の前に向かっていても、良い解決方法が出てこない。フェリーが突然バックした、そんな解決方法だと、読者はバカにするな、と怒る。次を読んでくれない。安易な解決方法では読者が納得してくれない。
中川沿いのジョギングロード走りながら、あれこれ考える。東立石公園の東屋で給水してから、また走りはじめる。
雄次のフィッシング・ジャケットの紐が桟橋に引っかかって外れない。フェリーは数秒後に接岸する。こんな厳しい状況に追い込むのではなかった、と後悔する。しかし、もう第2回目は発売されている。雄次が桟橋に押しつぶされて、主人公が死んでは元も子もない。
ランニングロードで汗を流しながら、あれこれ考える。来週には、第3回目の原稿の締切りが迫っている。作者自身の執筆の危機にすら感じてしまう。
数日中には、この危機は如何にしても脱出しなければならない。次なる難題をも主人公に与えなければならない。また、解決に苦しむとわかっていても。