デジカメとメモ帳を持って、フルを完走=かすみがうらマラソン
4月20日(日)には、第18回「かすみがうらマラソン大会」が茨城・土浦市で開催された。フルマラソンの部に出場した。06年12月の「さのマラソン」(栃木・佐野市)以来の、1年5ヶ月ぶりのマラソン大会だった。レース勘から遠ざかっており、日々の練習不足から完走すら不安だった。
同大会には次女と参加する予定だった。「おたがいにあらそわない」と約束はしていても、父娘が併走すれば、競争心が芽生える。オーバーペースから、途中でダウンしかねない不安もあった。
昨(07)年4月のかすみがうらマラソン大会は、10日ほど前に八ヶ岳で滑落のアクシデントを起し、不参加となった。その後は満足な練習(ロング走やインターバルなど)ができていない。42キロの距離とスピードには不安があった。
次女が「富士五湖100キロマラソン大会」と「かすみがうら大会」を二股かけてエントリーしていた。二週つづきの大会出場はムリなので、次女は100キロに出場と決めた。
こちらとしては、気楽な走りができる、と歓迎だった。筋肉痛に気をつければ、体力的には6時間の制限以内なら完走はできるだろう、と読んだ。
スタートからのんびり42.195キロを走っていては能がない。この際はランナーの目で大会を取材してみようと決めた。
同会場には、朝8時過ぎに入った。開催式を一通り取材していると、準備運動や足慣らしジョギングの時間がなくなった。『ゆっくり走れば、それ自体が準備運動になる』。そのために、自分の持つタイムより1時間遅い集団(4時間30分~5時間台のランナー)に入り込んで、スタートした。
誰もが最初はペースを抑える。だから、こちらは写真を撮ったり、メモを取ったり楽にできた。
登山中に立ち止まらず地図を見、メモを取る。それには過去から慣れている。走りながらメモを取る試みは初めてだったが、まったく違和感はなかった。むしろ、山道と違い、アスファルトは平坦だから、足もとの心配がないだけ、山岳取材よりも楽だった。息切れすらなく10キロまで走れた。
私には常に42キロの距離に対する不安があった。その先20キロまで、沿道風景や仮装ランナーたちにカメラを向けていた。ともかくレース展開を考えないようにしていた。還暦の幟を立てたランナー(星さん・船橋市)には走りながらインタビューした。快く応じてくれた。それも楽しかった。
20キロ、21キロのハーフまできた。自分の体力と脚力は余力ある。42キロの完走に持ちこたえると判断できた。
25キロから、私の本来の3時間台半ばの走法でもゴールまで「いける」と判断した。一気に加速した。前方のランナーを次々に追い抜く。ただ、仕掛けるのが遅くて3時間台に食い込めないと思った。その観念から、エイドはつい全部立ち寄ってしまう。
3時間台に食い込むには、もっとスピードを上げる必要がある。ムリしない。筋肉を傷めないで完走だ。35キロからはややスピードを押さえて、ゴールした。ネットタイムは4時間16分だった。
今後の練習をしっかりやれば、まだフルマラソンで3時間台は出せる、という手ごたえをつかんだ。Stacyさん(ニューヨーク在住・日米翻訳家)から、今年の11月のニューヨーク・シティー・マラソンに誘われている。それらも視野に入れた練習をしてみたい。