S-NTK 第2回 公演 『復興支援チャリティー公演』
一景 阿国花歌舞伎 二場 恋の花歌舞伎
2015年2月7日(土)・8(日) 大井町きゅりあん 小ホール
1603(慶長8)年、出雲阿国と呼ばれた女芸能者が、京都で、念仏踊り「かぶき踊り」を興行化しました。これが歌舞伎の起源です。男役もすべて女性が演じていたのです。
現在と逆でした。
美女の出雲阿国はいまも伝説のひとです。
※ 写真キャプション(説明)として、舞台イメージから『物語』をつけてみました。『恋の花歌舞伎』の脚本とはまったく関連ありません。
京の都で、出雲からきた「阿国」(五月梨世)は、その美しさから、絶大なる人気だった。
四条河原の芝居小屋で舞台に立つ阿国の踊りは、あまりにも濃艶で美し過ぎた。
京の都のみならず、諸国・津々浦々に、その名が知れ渡った。
座長の新五郎は、大切な人気の芸人に男がついてしまうと、興行に悪影響がつくと怖れる。阿国にを執拗(しつよう)に監視する。
「怖いのは堺商人だ。大金を積めば、阿国が妾になるはずだと、信じておる」
現に、堺商人のなかには数人、芝居小屋に通いづめてくる輩がいる。要注意だ。
人気役者の阿国は、いっときも離れず背後にいる座長・新五郎(舵一晴・元宝塚歌劇団花組)を意識していた。
「私に、自由が欲しい。恋もしてみたい」
阿国は胸のなかで、つねに呟いていた。
尾張国から、 武将・名古屋高久の次男の、山三郎(さんさぶろう・帆之亟)が京の都にやってきた。父方は北条氏の子孫、母方は織田氏の縁戚という、名家だった。
見目うるわしい「美男・美女」という言葉が、最も後世に残ったとすれば、この2人だろう。
さらなる上といえば、義経と静御前くらいだろうか。
阿国と山三郎の仲を警戒するのは、座長の新五郎だった。
「まずいな。あんな美男子じゃ、阿国が惚れてしまう。恋は危険だ。なにをしでかすか判らない」
新五郎の眼は従前に増して、いっときも阿国から離れなかった。
「山三郎さま、あなたは憎いひとです。私の胸をこんなにも、苦しめています」
「拙者かとて同じだ。このまま阿国を連れて、尾張に帰りたい」
「わらはも、ついていきとうございます」
「今夜、四条河原で逢えないか」
「芝居小屋から、抜けだしてきました。山三郎さまに逢えると想うと、怖くなかった。いいえ、殺されても、逢いにくくと決心していました」
「よく来てくれたか。嬉しいぞ。名古屋で、夫婦(みょうと)になろう」
「うれしい。強く抱いてくださいまし」
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