カメラマン

色彩豊かな春を満喫する、小時の憩い=広島植物公園


 広島県の島に生まれ育ち、18歳で東京に出た。

 それから長い歳月が経った。

 「広島市植物公園」があると初めて知った。

 
 4/10は招かれて、早朝7時から「積極人間の集い」で講演した。参加者は約40人だった。

 私は夜型なので、ふだんは朝4-5時に寝て、11時頃に起きている。

 体内時計が狂ってしまった。

 広島に来れば、観光気分などないし、ほとんど東京へとんぼ返り。きょうの午後くらいは半日、ゆっくりすごそうと決めた。

 

 私は数多く写真を撮るが、自分の写真を撮ることはない。

 むろん、撮ってください、と頼むことはない。

 「撮ってあげましょうか」

 そう言われて断るわけにもいかなかった。

 広島の女(ひと)は親切だな。

 警戒心を持たれない年齢になったのかな。



 頭上の枝葉が網目になり、芸術的な美を構成していた。

 植物の被写体は、時おり、頭上にある。
 


 水連が盛りだった。

 一輪ごとは心に収めておいた。

 見事な花弁は誰でも撮るから、あえて鮮明に取り込まなかった。


 クローズアップした花弁はゼロではない。味気ないから掲載しなかった、というのが適切な表現だろう。

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春の小さな散策・日本橋~浅草


 3月31日。なにかしら1年の区切りのような気持ちになる。

 わたしは格別、年度単位の仕事をしているわけではない。

 多くは月単位である。第2週と第4週は、小説、エッセイ、区民大学などを集中させている。

 昨日でひと区切りがついた。ちょっとほっとした開放的な気持ちから、小時、日本橋に出かけてみた。



 桜の花が満開だった。

 日本橋から足を延ばせば、千鳥ヶ淵は近い。きっと見事だろう。

 人混が想像できたので、日本橋の桜で満足しよう、と自分を説得させた。



 日本のど真ん中の、頭上には首都高速道路、眼下に流れるのは神田川、古から架かる日本橋がある。わずかな隙間には、満開の桜が顔見世をしていた。


 デパートで、写真展が開催されていた。カメラマンは長野県・松本深志高校の出身者で、天体の写真を得意としていた。

 このところ、わたしは取材で松本周辺にたびたび出むく。同校出身者にもよく出合う。そんな気持から立ち寄ってみた。

 これが写真とは驚きだ、という作品もあった。

 会場内の撮影は自由だった。カメラマンには敬意を称したい。

 


 写真だけで日本橋だとひと目でわかる。

 そんなスポットを探してみた。

 ここだろうな。



 日本橋界隈のデパートは、なにかしら展示会をやっている。

 次なるデパートに向かった。わたしはふだん絵画展など観たことはないし、むしろ苦手だ。

 それでも、好奇心で絵画展を覗いてみた。

 撮影禁止だった。フラッシュを焚けば、絵画を劣化させるからか。著作権か。ちょっと不満を覚えた。


 ほとんどの題名が懲(こ)りすぎで、どの漢和辞典の隅から探してきたのか、と思うものばかりだ。これが小説だと、題名が懲りすぎると、内容は大したことはないのが常だが?

 人物画はおしなべて、モデルが正面から突っ立って描かれていた。人物が面白くなかった。

「江戸時代の浮世絵の肢体を研究したら……」

 そんな気持で会場を出た。

 


 ヨーロッパの一都市と見まちがう光景があった。

 絵画展の不満が、この車との一瞬の出会いで解消した。

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抱腹絶倒で楽しめる、長唄「棒しばり」の高度な妙技(下)=帆之亟の会より

 狂言の代表的な「棒しばり」は、歌舞伎や舞踊でも演じられる。とても愉快なをパロディである。

YouTube:動画で楽しく見られます


 
 大名は菊月喜千壽が演じる


 大名が外出するたびに、太郎冠者・次郎冠者の二人の召使いは酒蔵へ忍び込んで、盗み酒をする。

「なにか妙案はないか」

 外出前に、大名はあれこれ思案する。


 次郎冠者は帆之亟である。


 城内の一角で、次郎冠者はが棒の手(護身術)を披露していた。

「拙者の腕は、藩内随一じゃろう」

 得意になっている、棒の術を見せびらかせている。たしかに、その腕はずば抜けている。


 


 大名は外出前に、太郎冠者と次郎冠者をよびつけて括(くく)りつけてしまう。

「これで、余の眼を盗んで、よもや酒は飲めまい」

 


「いかにして飲めるか」

 創意工夫で、何としてでも飲みたい。

 悪知恵がはたらく2人である。

 甕(かめ)のなかの酒を器用に掬(すく)っている。

 

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舞うは彩のいのち、愛の生命、そして燃えつきぬ(中)=帆之亟の会より


 藤娘  久保泰介


 若い娘が黒の塗り笠に藤づくしの衣装で現れる。

 観客席はどよめく。

 長唄「藤娘」は、人気の歌舞伎舞踊の演目の一つ。

 そのあでやかさから、日本舞踊の舞台でも必須の演目になっている。


 藤の枝を手にした藤の精が、酒に酔い興にのって踊る。

 そのうちに遠くから寺の鐘が鳴る。

 娘は家路につく。


 藤娘の美しい姿は、羽子板の押絵にもなっている。



新曲 浦島

 尾上五月(五月梨世) 元宝塚歌劇団・月組の男役、いまは日本舞踊の師匠として活躍している。



 長唄「浦島」には、なぜか、浦島太郎は登場しません。


 
 坪内逍遥(つぼうちしょうよう)が、明治37(1904)年に作詞した

 文芸的な格調の高さと、 ワーグナーのオペラ、三味線の音楽が組み合わさっています。

 踊り手は巧妙に海辺の情景を踊りで表現する。

 波は時に激しく、ある時はゆったりと押し寄せる。その緩急の呼吸が舞台から伝わってくる。


 帆之亟の会

「はんのじょう」と名乗り40周年の記念すべき公演

 2015年3月5日(木)

 日本橋劇場にて

舞うは彩のいのち、愛の生命、そして燃えつきぬ(上)=帆之亟の会より


『新鹿の子』  藤間鈴江


 恋する乙女は、身も心も深紅に燃える

 

 
 心が乱れても、あなたをひたすら待ち続けます


『賤の苧環』 卯月 悦


 静御前と、源義経の愛は心痛む


「吉野山 峰の白雪 踏み分けて

入りにし人の あとぞ 恋しき」



「しずやしず しずのおだまき 繰り返し

むかしを今に なすよしもが」



『梅川 ~それは恋~』

  梅川   苅米 良子
 
  忠兵衞 帆之亟 


 人目を忍び、落ちていく遊女「梅川」と、公金に手を付けた「忠兵衞」は、生まれ育った故郷へ


 愛を語りつつも、ふたりの末路は死のみぞ、



  末は夫婦と言いつつも、この世で結ばれぬ運命も、ふたりして新口村へ



 お前の顔も、今宵で、見納めじゃ

 妻となろうぞ、あの世で


 お前ともども、この世とも、お別れじゃ



  ふたりの恋は不滅だった


『おせん』

 綾奈 舞

 江戸の風情は、色香の浴衣姿で



 行水を終えた「おせん」が、夕涼み、艶っぽいね


 帆之亟の会

「はんのじょう」と名乗り40周年の記念すべき公演

 2015年3月5日(木)

 日本橋劇場にて

華やかな美女乱舞(下)=S-NTK公演・宝塚歌劇団OGらとともに


 S-NTK 第2回 公演   『復興支援チャリティー公演』


         2015年2月7日(土)・8(日)  大井町きゅりあん 小ホール  


 春・花の夢より


 元宝塚歌劇団のスターたちが、華やかな和服レビューショーをみせてくれます。


 
 「花の民謡メドレー」では、踊り手が軽妙なリズムと唄で楽しませます。



 元宝塚歌劇団のメンバーには、とてつもないスピード感があります。

 それが大きな特徴の一つです。

 S-NTK座長の「五月梨世」の踊りと芸は、一流中の一流だ。

 顔の描写の文字化はむずかしいけれど、

 「眼はパッチリして、眉も濃く、顔立ちは浮彫で、愛嬌がある」
 
 粋な感じがある。

 だから、彼女のファンが押し寄せる

 

 


 日本女性の鑑ともいえる、いにしえの情感に満ちた魅惑がたっぷり。

 どこか恥じらうような優しさを感じさせる。

  



 マドリードの情熱の女。そんな鮮やかな女性だ。

 舞踊も華やかで大きい。

 熱気に満ちた瞳は、ことごとく男の心を惹(ひ)きつける 

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華やかな美女乱舞(上)=S-NTK公演・宝塚歌劇団OGらとともに


  座長は五月梨世(元宝塚歌劇団の男役・月組)による、優美な踊り手たち



 構成・演出・振付の総監督は「帆之亟」です。そして、出演。



 すてきな顔立ちと、美声とで、舞台を華やかにしてくれます。
 


 子役も交えて、楽しく明るく、童話ショーが展開されていきます。

 この子らの中から、出演のお姉さんたちにも負けない、将来のスターが出てくるでしょう。

 


 影絵には、踊手たちの心に宿る面影が投影されています。

 どんな面影かしら?

 それは当人しかわからないな。三者三様だと思うよ。、


「お待ちくださいまし。お願いでございます」

 艶な芸と踊りとで、観客を魅了します。


 


 きらびやかな和服ショーにも、洋風・ダンスの踊りが組み込まれています。

 和服を着て一糸乱れず踊る

 まさにプロの演技ですね。



 雅で艶やかな男役です。容貌と踊りの均衡美で魅せます。

           


 
 踊り手の呼吸が伝わってきます。

 呼吸そのものが芸術です。

 

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『春花繚乱』 恋の花歌舞伎・悲劇は美なのか?(2)=写真で観劇 

 S-NTK 第2回 公演   『復興支援チャリティー公演』 

                   一景 阿国花歌舞伎 二場 恋の花歌舞伎
 

         2015年2月7日(土)・8(日)  大井町きゅりあん 小ホール  


 1603(慶長8)年、出雲阿国と呼ばれた女芸能者が、京都で、念仏踊り「かぶき踊り」を興行化しました。これが歌舞伎の起源です。男役もすべて女性が演じていたのです。
 現在と逆でした。


 美女の出雲阿国はいまも伝説のひとです。
 

 ※ 写真キャプション(説明)として、舞台イメージから『物語』をつけてみました。『恋の花歌舞伎』の脚本とはまったく関連ありません。


 


 京の都で、出雲からきた「阿国」(五月梨世)は、その美しさから、絶大なる人気だった。



 四条河原の芝居小屋で舞台に立つ阿国の踊りは、あまりにも濃艶で美し過ぎた。

 京の都のみならず、諸国・津々浦々に、その名が知れ渡った。

 座長の新五郎は、大切な人気の芸人に男がついてしまうと、興行に悪影響がつくと怖れる。阿国にを執拗(しつよう)に監視する。

「怖いのは堺商人だ。大金を積めば、阿国が妾になるはずだと、信じておる」

 現に、堺商人のなかには数人、芝居小屋に通いづめてくる輩がいる。要注意だ。

 人気役者の阿国は、いっときも離れず背後にいる座長・新五郎(舵一晴・元宝塚歌劇団花組)を意識していた。

「私に、自由が欲しい。恋もしてみたい」
 
 阿国は胸のなかで、つねに呟いていた。

 尾張国から、 武将・名古屋高久の次男の、山三郎(さんさぶろう・帆之亟)が京の都にやってきた。父方は北条氏の子孫、母方は織田氏の縁戚という、名家だった。



 見目うるわしい「美男・美女」という言葉が、最も後世に残ったとすれば、この2人だろう。

 さらなる上といえば、義経と静御前くらいだろうか。



 阿国と山三郎の仲を警戒するのは、座長の新五郎だった。

「まずいな。あんな美男子じゃ、阿国が惚れてしまう。恋は危険だ。なにをしでかすか判らない」

 新五郎の眼は従前に増して、いっときも阿国から離れなかった。

 「山三郎さま、あなたは憎いひとです。私の胸をこんなにも、苦しめています」

 「拙者かとて同じだ。このまま阿国を連れて、尾張に帰りたい」

 「わらはも、ついていきとうございます」

 「今夜、四条河原で逢えないか」

 

 「芝居小屋から、抜けだしてきました。山三郎さまに逢えると想うと、怖くなかった。いいえ、殺されても、逢いにくくと決心していました」

 「よく来てくれたか。嬉しいぞ。名古屋で、夫婦(みょうと)になろう」

 「うれしい。強く抱いてくださいまし」

 

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『春花繚乱』 華やかな日本舞踊の美ここにあり(1)=写真で観劇 


 S-NTK 第2回 公演   『復興支援チャリティー公演』


         2015年2月7日(土)・8(日)  大井町きゅりあん 小ホール  


 「阿国花歌舞伎」

     五月梨世  元宝塚歌劇団 


 出演者には元宝塚歌劇団の名優が6人、豪華な美の妙技をみせる。

   


 きりっとした眼差しは素敵だが、着物をつかむ繊細な指先にも美を感じる

  華やかなパワーで踊る。

  元宝塚歌劇団の男役は、きりっとした美の境地に誘い込む

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冬から春へと、端境期の点描=写真で散策

 目黒学園カルチャースクールで、「小説」と「フォト・エッセイ」の指導をしている。目黒からの帰路、雨が上がりそうなので、旧芝離宮恩賜庭園に立ち寄ってみた。

 冬の気配が色濃く、そのうえ小降りになったとはいえ、誰もが町で傘を手にしており、大都会の中心部の公園には、ほとんど人出はなかった。

 園内の樹木は、まだ冬の姿だ。

 
 


 こちらも樹木が藁ですっぽり防寒している。都会に住んでいると、雪国ではありきたりな姿が、愉快な形に見えてくる。

 円の管理事務所で聞くと、「梅が咲いていますよ」と教えてくれた。

 梅林のような華やかさなどないが、それでも樹木の花には春が感じられて、心地良くなる。


 葛飾区・環境課で、「花いっぱいの町づくり」がスタートした。4月ごろから同区のホームページで、花づくりの各団体の活動が紹介されていく。

 花いっぱいレポーターが公募で5人選ばれた。

 この5人の発足、活動のスタートに当たり、2/16に、「写真の撮り方」「取材の仕方」で3時間ほど講師を頼まれた。


 レポーターたちが、町で活動する人たちに質問していく。



 渋江公園は同区内では最大級の広さだ。いま改修中である。

 それにともなって、大きな花壇が園内で移設される。「緑化推進協力員 第3ブロック」の人たちが、ボランティアで移植していた。

 私は集合写真の指導もした。「記念写真のような、真正面から無味乾燥な撮り方はしないで下さいよ」とアドバイスした。

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