北アルプスの名峠「徳本峠」はなんて読むのでしょうか=写真集
北アルプスには、名高い峠がいくつかあります。佐々成政が真冬に越えた針ノ木峠、女工哀史で有名な野麦峠、松本から上高地に入る徳本峠などが有名です。
釜トンネルが開通前はこの徳本峠を利用していました。現在でも真冬に上高地に入る登山者には利用されています。(右の写真は同峠からの眺望)
穂高連峰の展望のよさは抜群です。
日本山岳会・上高地山荘(上高地山岳研究所)は、1961(昭和36)年に松本営林署から、山岳研究、健全登山指導、自然保護活動を目的に借り受けたものです。(上)
穂高連峰の稜線がすっぽり雲に覆われています。見るからに、威厳がある山岳です。
雲が切れると、巨大な山容が現れます。朝から昼にかけて、雲の動きは早いものがあります。それは雲海が上昇するからです。
今回のリーダーは、上村信太郎さん(日本山岳会会員・フリーライター)です。10代から国内外の岩場を登り、海外の処女峰の登頂経験者です。
現在は「すにいかあ倶楽部」(東京・目黒区)の主幹です。
上高地から、巨木の原生林の道を登りはじめます。
秋景色の上高地を訪ねて=写真集
10代から3000m級の北アルプスを登りはじめた。20代はやみくもに登った。30代は大病で登れなかったが、40代からまた北アルプスにも登りはじめた。テント泊が殆どだった。
長野県・上高地は標高1500メートルだから、槍ヶ岳や穂高連峰に登る場合、稜線との標高差がわかりやすい。体力、荷物に応じた行動の読みが簡単にできる。私にとって、これまで上高地は単なる通過地点だった。
日本山岳会・上高地山荘(上高地山岳研究所)が、河童橋の近くにある。会員として、一度は宿泊してみたかった。そのチャンスが10月12日の誕生日にあった。
宿泊となると、周辺の高所登山で、夜に同山荘にもどってこれない。そこで、一日はのんびり上高地散策を行なった。
これまで登山基地で、さして見向きもしなかった上高地だったが、おもいのほか秋の景色が堪能できた。新発見も多かった。
20代の女性の登山者が、予想外に多かった。スカートをはいた、新ファッションだ。格好は何であれ、若者が山に登ってくれる。うれしい限りだ。
河童橋周辺は、観光客で賑わう。割りに関西弁の方が多いようだ。東京から、大坂からも、ともに同じような所要時間で入れるのが、上高地だ。
広河隆一写真展「人間の戦場」
かわいい稚児行列・青砥神社=写真集
初の「見る阿呆」で、豊島区・大塚に=写真集
徳島の有名な阿波踊りが、いつしか首都圏にやってきた。大塚駅前でも、8月26日夕方5時から開催された。
「えらいやっちゃ、えらいやっちゃ、ヨイヨイヨイヨイ、踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損々…」と唄われる。一度、観る阿呆になってみようと、出かけてみた。その理由の一つに、私には小学生の頃からの疑問があったからだ。
父の従兄(故人・今治市)で、やたら祭好きの方がいた。阿波踊りのシーズンになると、決まって(蒲鉾の板細工)仕事を放り出し、徳島まで出かけていた。その細君が誰かまわず、ぼやいていた。子どもながらに、おばさん(細君)に理解を示していたものだ。
昭和30年代初めで、予讃線は単線の蒸気機関車時代で、片道が一日がかり。おじさんは何日間、徳島に出むいていたのか。それは今となればわからない。
「阿波踊りって、そんなに夢中にさせるものか? あのおじさんは特別人間なのか?」結論がないまま、その疑問が約半世紀も脳裏の片隅に残っていた。
丹沢山塊・大野山のハイキング=写真集
快晴で、まさに写真日より、そのものだった。
都心から小田急線で1時間あまりで、新松田駅に着く。現地集合でもあり、私は独りでむかう。JR御殿場線には、はじめて乗った。スイカが使えないので、手間取っていたら、列車は行ってしまった。1時間に2本だ。ホームから美しい稜線の富士山が見えるから、待ち時間は苦痛ではない。
谷峨(やが)駅から登山道に入ると、酒匂川の上流の端を渡る。眼下にはダムがあった。
山桜のかなたに、穏やかな山容の大野山が見えてきた
登山道には春の花が咲いていた。植物に疎いので、勝手に、山吹と決め付けて眺めた。
のんびり、のんびり、歩く。初めてハイキングに参加した人がいた。「急いで登ろうとしない。足を前に出したら、ゆっくり重心を移す。この繰り返しですよ」とアドバイスをする。
山頂からの丹沢湖が、情景のなかで、上手に遠近感と深度をつくってくれていた。
山頂は牧場だ。乳牛があちらこちら寝そべっている。牛舎の牛は自由を剥奪されてかわいそう。
桜の小倉城を訪ねる=写真集
小倉戦争(第二次長州征伐)の取材の下見に行った。ネタ探しである。北九州空港に行くつもりだったが、羽田空港の出発が第一ターミナルで、持ち時間がなく、予定した飛行機に乗れなかった。
福岡空港を経由したので、小倉についたのが、昼過ぎてしまった。
大学時代の親友・東力秀くんの車で、案内してもらった。小倉城には、戦いに敗れて自焼したためか、同戦争の資料なかった。失望したが、桜が満開で見ごたえがあった。
花嫁と桜はとても好いコントラスト。ケイタイが手放さないのが、現代の花嫁らしい
元宝塚月組の男役・尾上五月さんの艶やかな舞台=写真集
鎌倉の紅葉狩りハイキングは10日ばかり早すぎた=写真集
エッセイ教室の二上かをるさんから、冊子の作り方を教わった。11月23日には天候に関係なく、鎌倉を歩くことに決めた。
二上さんの計らいで、NKM会(日本鋼管OBで逗子鎌倉近辺に住んで親しかった者の小さな集まり)と一緒することになった。同メンバーは、梶川脩二さん、里見弘次さん、中尾亜男さん、(ともに溶鉱炉製銑技術屋)、松本一人さん(会計関連)は現役相当の働きをされている。
PJニュースに、コース紹介記事を書いた。要所、要所で、観て楽しんでもらう写真を撮ってきた。写真集として提供します。
覚園寺(かくおんじ)の水瓶(右)
JR鎌倉駅に11時に集合した。
バスで、鎌倉宮に向かった。
鎌倉宮は薪能で有名なところ。
同境内では七五三を祝う、盛装した可愛い子どもたちが宮参りしていた。
覚園寺(かくおんじ)約5分ていどで、天園(てんえん)ハイキングコースの入口だ。