カメラマン

三寒四温、春を待つ新宿御苑の散策=写真集

 2月16日は寒さも越えたような、暖かな陽射しでした。先日までは、雪情報の連続で、ややうんざり。やっと路面の雪が解け、解放された気分になってきました。

 早朝の新宿御苑に、春を探しに出かけてみました。9時の開園の直後だけに人は疎ら。妙に、物悲しい空間でした。

 1時間ほど経つと、人の姿を見かけるようになりました。

2時間後には、スケッチする人、芝生で寝転んで本を読む人、恋を語るカップルの素敵な情景へと変化してきました。


地下鉄・新宿三丁目駅から、5分程度で、そこにはぜいたくな空間があります。便利ですから、時折り、心を休めにきます。四季それぞれの顔を持っています。

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北アルプスの名峠「徳本峠」はなんて読むのでしょうか=写真集

北アルプスには、名高い峠がいくつかあります。佐々成政が真冬に越えた針ノ木峠、女工哀史で有名な野麦峠、松本から上高地に入る徳本峠などが有名です。


釜トンネルが開通前はこの徳本峠を利用していました。現在でも真冬に上高地に入る登山者には利用されています。(右の写真は同峠からの眺望)
穂高連峰の展望のよさは抜群です。

    
日本山岳会・上高地山荘(上高地山岳研究所)は、1961(昭和36)年に松本営林署から、山岳研究、健全登山指導、自然保護活動を目的に借り受けたものです。(上)

穂高連峰の稜線がすっぽり雲に覆われています。見るからに、威厳がある山岳です。

雲が切れると、巨大な山容が現れます。朝から昼にかけて、雲の動きは早いものがあります。それは雲海が上昇するからです。

今回のリーダーは、上村信太郎さん(日本山岳会会員・フリーライター)です。10代から国内外の岩場を登り、海外の処女峰の登頂経験者です。
現在は「すにいかあ倶楽部」(東京・目黒区)の主幹です。

上高地から、巨木の原生林の道を登りはじめます。

道標はしっかりつけられています。悪天候や積雪期以外は、道に迷うことはないでしょう。

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秋景色の上高地を訪ねて=写真集

10代から3000m級の北アルプスを登りはじめた。20代はやみくもに登った。30代は大病で登れなかったが、40代からまた北アルプスにも登りはじめた。テント泊が殆どだった。

長野県・上高地は標高1500メートルだから、槍ヶ岳や穂高連峰に登る場合、稜線との標高差がわかりやすい。体力、荷物に応じた行動の読みが簡単にできる。私にとって、これまで上高地は単なる通過地点だった。

 日本山岳会・上高地山荘(上高地山岳研究所)が、河童橋の近くにある。会員として、一度は宿泊してみたかった。そのチャンスが10月12日の誕生日にあった。


宿泊となると、周辺の高所登山で、夜に同山荘にもどってこれない。そこで、一日はのんびり上高地散策を行なった。
これまで登山基地で、さして見向きもしなかった上高地だったが、おもいのほか秋の景色が堪能できた。新発見も多かった。


20代の女性の登山者が、予想外に多かった。スカートをはいた、新ファッションだ。格好は何であれ、若者が山に登ってくれる。うれしい限りだ。



河童橋周辺は、観光客で賑わう。割りに関西弁の方が多いようだ。東京から、大坂からも、ともに同じような所要時間で入れるのが、上高地だ。


徳沢園は明治以降に牧場があった。いまは紅葉が盛りになってきた。(右)

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広河隆一写真展「人間の戦場」

国際ペン・東京大会で、広河隆一(ひろかわ りゅういち)さんの写真展が行なわれた。テーマは「人間の戦場」である。
国際ペンは「戦争反対」と「思想信条の自由」を2本柱にしている。25年ぶりの東京大会で、平和と戦争を考える、という趣旨から広河さんの写真展が、早稲田大学の小野梓記念館で行なわれた

この企画は、故立松和平さんが日本ペンクラブの平和委員長だったので立案したものだ。この写真展を見ずして、今年2月に亡くなられた。
ふたりはかつてレバノンで一緒に取材した仲だという。

海外から来日した、世界的な作家・文学者たちも、悲惨な写真作品に強い関心を示していた。

           

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かわいい稚児行列・青砥神社=写真集

 かつしか区民大学「私が伝える かつしか講座」の課外活動として、9月12日の午前10から午後5時まで、一日コースの課外活動(取材の仕方)の実践指導を行なった。

そのなかの一つ、同区教育委員会の生涯学習課から、青砥神社例大祭の情報提供があり、受講生たちと出向いた。


稚児行列は14時から青砥神社の境内を出発した。

     

盛装した子どもたちは、きょうの主役です。ふだんにない神妙な顔つきです。


三姉妹がなのか。化粧で、みな同じ表情に見えるのか。

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初の「見る阿呆」で、豊島区・大塚に=写真集

徳島の有名な阿波踊りが、いつしか首都圏にやってきた。大塚駅前でも、8月26日夕方5時から開催された。
          


「えらいやっちゃ、えらいやっちゃ、ヨイヨイヨイヨイ、踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損々…」と唄われる。一度、観る阿呆になってみようと、出かけてみた。その理由の一つに、私には小学生の頃からの疑問があったからだ。

      


 父の従兄(故人・今治市)で、やたら祭好きの方がいた。阿波踊りのシーズンになると、決まって(蒲鉾の板細工)仕事を放り出し、徳島まで出かけていた。その細君が誰かまわず、ぼやいていた。子どもながらに、おばさん(細君)に理解を示していたものだ。          


 昭和30年代初めで、予讃線は単線の蒸気機関車時代で、片道が一日がかり。おじさんは何日間、徳島に出むいていたのか。それは今となればわからない。

「阿波踊りって、そんなに夢中にさせるものか? あのおじさんは特別人間なのか?」結論がないまま、その疑問が約半世紀も脳裏の片隅に残っていた。
             

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丹沢山塊・大野山のハイキング=写真集

富士山がとても近く見える。そんな山に登る。友人の可児さん・田原さんに誘われて、久しぶりに、低山ハイキングに出かけた。
快晴で、まさに写真日より、そのものだった。

都心から小田急線で1時間あまりで、新松田駅に着く。現地集合でもあり、私は独りでむかう。JR御殿場線には、はじめて乗った。スイカが使えないので、手間取っていたら、列車は行ってしまった。1時間に2本だ。ホームから美しい稜線の富士山が見えるから、待ち時間は苦痛ではない。


谷峨(やが)駅から登山道に入ると、酒匂川の上流の端を渡る。眼下にはダムがあった。

山桜のかなたに、穏やかな山容の大野山が見えてきた


登山道には春の花が咲いていた。植物に疎いので、勝手に、山吹と決め付けて眺めた。

一服。さあ、また歩こう。

のんびり、のんびり、歩く。初めてハイキングに参加した人がいた。「急いで登ろうとしない。足を前に出したら、ゆっくり重心を移す。この繰り返しですよ」とアドバイスをする。

山頂からの丹沢湖が、情景のなかで、上手に遠近感と深度をつくってくれていた。

山頂は牧場だ。乳牛があちらこちら寝そべっている。牛舎の牛は自由を剥奪されてかわいそう。

都会生活のなかで、水車をみることはない。クルクル回る。見ているだけでも、愉快な気持ちになる。

清流が心の中に流れ込むようだ。

桜の小倉城を訪ねる=写真集

 小倉戦争(第二次長州征伐)の取材の下見に行った。ネタ探しである。北九州空港に行くつもりだったが、羽田空港の出発が第一ターミナルで、持ち時間がなく、予定した飛行機に乗れなかった。
 福岡空港を経由したので、小倉についたのが、昼過ぎてしまった。

 大学時代の親友・東力秀くんの車で、案内してもらった。小倉城には、戦いに敗れて自焼したためか、同戦争の資料なかった。失望したが、桜が満開で見ごたえがあった。

白い城郭には桜がよく似合う。写真で紹介したい。


花嫁と桜はとても好いコントラスト。ケイタイが手放さないのが、現代の花嫁らしい

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元宝塚月組の男役・尾上五月さんの艶やかな舞台=写真集

 年が明けると、元宝塚月組の男役だった尾上五月(宝塚・五月梨世)さんから、「ピンクリボンチャリティーコンサート「いのちこそ愛Vol.2」の招待を受けた。彼女の活動を写真で紹介したい。(同イベントはPJニュース)
 
 


彼女はかつてPJニュース【よこ顔】、いくつかの舞台の紹介記事を書いた。華やかな舞台はなんど観ても、いつも感銘を受ける。


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鎌倉の紅葉狩りハイキングは10日ばかり早すぎた=写真集

エッセイ教室の二上かをるさんから、冊子の作り方を教わった。11月23日には天候に関係なく、鎌倉を歩くことに決めた。
二上さんの計らいで、NKM会(日本鋼管OBで逗子鎌倉近辺に住んで親しかった者の小さな集まり)と一緒することになった。同メンバーは、梶川脩二さん、里見弘次さん、中尾亜男さん、(ともに溶鉱炉製銑技術屋)、松本一人さん(会計関連)は現役相当の働きをされている。

PJニュースに、コース紹介記事を書いた。要所、要所で、観て楽しんでもらう写真を撮ってきた。写真集として提供します。

覚園寺(かくおんじ)の水瓶(右)
                  
          JR鎌倉駅に11時に集合した。
          バスで、鎌倉宮に向かった。

        
   鎌倉宮は薪能で有名なところ。
   同境内では七五三を祝う、盛装した可愛い子どもたちが宮参りしていた。

          
 覚園寺(かくおんじ)約5分ていどで、天園(てんえん)ハイキングコースの入口だ。 


覚園寺分岐点、という稜線に出た。
北鎌倉・建長寺から十王岩(標高147メートル)を通ってきた、メインルートと合流する。

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