デジカメのなかで眠っていた写真たち(下)=2015年の足跡が見える
スマホに眠っていた写真を並べてみた。ここ1年(2015)がふりかえられた。次なるはデジカメで撮りっぱなしの写真を抽出してみた。
幕末に開国を成した「阿部正弘」の取材で、福山に行った。
ペリー提督と阿部正弘の蝋人形があったので、記念に撮ってもらった。
写真エッセイ教室の受講生が、四国の「大塚美術館」のタイル絵画について作品にしていた。豪華だし、いちどは見聞していたほうがよいと、その作者は口頭でも説明していた。
同美術館の前まで行った。だが、入場料はやたら高額だった、絵画にはさほど興味はない私にとっては。すぐ近くの鳴門の渦は大学生のころ見た、ダイナミックで、高揚感があるから、そちらに足をむけた。
観光船の航海士の乗客サービスだろうか、船体がはげしい渦潮と戯れていた。それが面白かった。
香川の金毘羅は、文化・文政時代から、全国有数の信仰の聖地となった。いま新聞連載の「山は燃える」で、長野・安曇野から、主人公のふたりが訪ねてくる場面に、使った。
金毘羅さんの長い階段は、私は子供のころから何度も登っている。さして信仰心もないし、裾野の街なかをぶらぶら歩いていた。前々から、川の構図が面白いという認識があった。このさい、撮影しておいた。
ただ、なんら使うあてもなく、フォルダーに眠っていた。
島育ちなので、時折り、旅先の取材の息抜きで、海辺へ行くことがある。
私は自身が写っている写真はほとんどない。
阿南海岸に入った折、ユニークな写真が撮れそうな石の構造物があった。公園にいる人に、思いついたポーズはお願いできない。
そこで、私がモデルになり、シャッターを頼んだ。
松本市「市民タイムス」で、新聞連載小説を展開している。タイトルは山岳歴史小説『燃える山脈』。2015年10月1日から、毎日、掲載されている。
プロローグのあと、第一章『十カ堰』(じっかぜき・写真)である。ちょうど、いま連載中である。
農水路ができるまで、貧農の百姓たちの苦労が描かれている。撮影した真夏に、新聞連載がきまった。
撮影場所はどこか、わからない写真もフォルダーにあった。
おおかた雨上りの水滴を狙ったのだろう。
ことしは松本によく出むいたな。
松本駅から島々駅まで、ローカルの私鉄が走っている。
梓川のそばの駅だった。
禁門の変の後、長州藩は朝敵になった。藩外から物は買えない経済封鎖を受けた。庶民生活に必要な、塩や食料や日用品はどこから買ったのか。
歴史小説家はこれまで、竜馬と薩長の「コメと西洋銃」の関係でしか、書いてこなかった。ヒーローばかりで、庶民の目と立場を失念している。
英雄はいるが、庶民はいない。こんな作家がほとんどだ。
長州藩が関西から生活物質を仕入れる場合、地理的には宮島が密貿易の中継港だろう。
この推量の下で、ことしは二度ばかり宮島に出むいている。
密貿易とはなにか。公儀隠密の目をかすめて、痕跡を残さないで、品物を運ぶことであるれ。足跡が消れているから、宮島の取材は難航している。
江戸時代の公儀隠密はすごかった。隠密・間宮林蔵が竹島密貿易を摘発した。さらにはシーボルトの地図の海外持ち出しも見破った。別の隠密だが、薩摩と琉球の貿易量が幕府への届出以上だと見破っている。
幕末の芸州広島藩は、どこかの島を中継地点につかい、関西方面からの長州への荷を運んでいたはずだ。
神戸に立ち寄ってみた。
幕末には兵庫開港問題で、大揺れしたところだ。
現代ではおしゃれな街になっている。
阪神淡路大地震で、古い港町が消えてしまった。大規模な再開発が成されたから、とても整備された町に変貌した。
日本一、近代的な港ではなかろうか。
長野県・穂高神社にも足を運び、「安曇族」(九州)の史実・言い伝えを取材した。そして、作品の中に落とし込んでいる。
『穂高』となると、親しみがわいてくる。