A025-カメラマン

デジカメのなかで眠っていた写真たち(下)=2015年の足跡が見える

 スマホに眠っていた写真を並べてみた。ここ1年(2015)がふりかえられた。次なるはデジカメで撮りっぱなしの写真を抽出してみた。


 幕末に開国を成した「阿部正弘」の取材で、福山に行った。

 ペリー提督と阿部正弘の蝋人形があったので、記念に撮ってもらった。


 写真エッセイ教室の受講生が、四国の「大塚美術館」のタイル絵画について作品にしていた。豪華だし、いちどは見聞していたほうがよいと、その作者は口頭でも説明していた。

 同美術館の前まで行った。だが、入場料はやたら高額だった、絵画にはさほど興味はない私にとっては。すぐ近くの鳴門の渦は大学生のころ見た、ダイナミックで、高揚感があるから、そちらに足をむけた。

 観光船の航海士の乗客サービスだろうか、船体がはげしい渦潮と戯れていた。それが面白かった。

 


 香川の金毘羅は、文化・文政時代から、全国有数の信仰の聖地となった。いま新聞連載の「山は燃える」で、長野・安曇野から、主人公のふたりが訪ねてくる場面に、使った。

 金毘羅さんの長い階段は、私は子供のころから何度も登っている。さして信仰心もないし、裾野の街なかをぶらぶら歩いていた。前々から、川の構図が面白いという認識があった。このさい、撮影しておいた。

 ただ、なんら使うあてもなく、フォルダーに眠っていた。

 島育ちなので、時折り、旅先の取材の息抜きで、海辺へ行くことがある。

 私は自身が写っている写真はほとんどない。

 阿南海岸に入った折、ユニークな写真が撮れそうな石の構造物があった。公園にいる人に、思いついたポーズはお願いできない。

 そこで、私がモデルになり、シャッターを頼んだ。



 松本市「市民タイムス」で、新聞連載小説を展開している。タイトルは山岳歴史小説『燃える山脈』。2015年10月1日から、毎日、掲載されている。

 プロローグのあと、第一章『十カ堰』(じっかぜき・写真)である。ちょうど、いま連載中である。

 農水路ができるまで、貧農の百姓たちの苦労が描かれている。撮影した真夏に、新聞連載がきまった。



 撮影場所はどこか、わからない写真もフォルダーにあった。

 おおかた雨上りの水滴を狙ったのだろう。

 ことしは松本によく出むいたな。

 松本駅から島々駅まで、ローカルの私鉄が走っている。

 梓川のそばの駅だった。

 禁門の変の後、長州藩は朝敵になった。藩外から物は買えない経済封鎖を受けた。庶民生活に必要な、塩や食料や日用品はどこから買ったのか。

 歴史小説家はこれまで、竜馬と薩長の「コメと西洋銃」の関係でしか、書いてこなかった。ヒーローばかりで、庶民の目と立場を失念している。

 英雄はいるが、庶民はいない。こんな作家がほとんどだ。

 長州藩が関西から生活物質を仕入れる場合、地理的には宮島が密貿易の中継港だろう。

 この推量の下で、ことしは二度ばかり宮島に出むいている。

 密貿易とはなにか。公儀隠密の目をかすめて、痕跡を残さないで、品物を運ぶことであるれ。足跡が消れているから、宮島の取材は難航している。

 江戸時代の公儀隠密はすごかった。隠密・間宮林蔵が竹島密貿易を摘発した。さらにはシーボルトの地図の海外持ち出しも見破った。別の隠密だが、薩摩と琉球の貿易量が幕府への届出以上だと見破っている。
 
 幕末の芸州広島藩は、どこかの島を中継地点につかい、関西方面からの長州への荷を運んでいたはずだ。


 神戸に立ち寄ってみた。

 幕末には兵庫開港問題で、大揺れしたところだ。
 現代ではおしゃれな街になっている。

 阪神淡路大地震で、古い港町が消えてしまった。大規模な再開発が成されたから、とても整備された町に変貌した。

 日本一、近代的な港ではなかろうか。

 長野県・穂高神社にも足を運び、「安曇族」(九州)の史実・言い伝えを取材した。そして、作品の中に落とし込んでいる。

 『穂高』となると、親しみがわいてくる。

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