A025-カメラマン

色彩豊かな春を満喫する、小時の憩い=広島植物公園


 広島県の島に生まれ育ち、18歳で東京に出た。

 それから長い歳月が経った。

 「広島市植物公園」があると初めて知った。

 
 4/10は招かれて、早朝7時から「積極人間の集い」で講演した。参加者は約40人だった。

 私は夜型なので、ふだんは朝4-5時に寝て、11時頃に起きている。

 体内時計が狂ってしまった。

 広島に来れば、観光気分などないし、ほとんど東京へとんぼ返り。きょうの午後くらいは半日、ゆっくりすごそうと決めた。

 

 私は数多く写真を撮るが、自分の写真を撮ることはない。

 むろん、撮ってください、と頼むことはない。

 「撮ってあげましょうか」

 そう言われて断るわけにもいかなかった。

 広島の女(ひと)は親切だな。

 警戒心を持たれない年齢になったのかな。



 頭上の枝葉が網目になり、芸術的な美を構成していた。

 植物の被写体は、時おり、頭上にある。
 


 水連が盛りだった。

 一輪ごとは心に収めておいた。

 見事な花弁は誰でも撮るから、あえて鮮明に取り込まなかった。


 クローズアップした花弁はゼロではない。味気ないから掲載しなかった、というのが適切な表現だろう。

 植物園には窪地を利用した沼がある。ゆったり一周してきた。

 先刻、写真を撮ってくれた彼女に、ふたたび出会った。

 わたしは取材癖で、話しの糸口をつかみ、昨年、広島市内で発生した災害・土石流の被害などを聞いていた。

 「ボランティアに行かれましたか」

 そんな投げかけをしていた。

 「おふたり、撮ってあげますよ」

 園内ガイドのおじさんに言われた。世のなかには親切な人もいるものだ。

 「そうですか。じゃあ、お願いします」

 そう言ったのは私だった。

 園内には多くのカップルが散策していた。それが脳裏に焼き付いていたので、

 私もカップルぽく近寄ってみた。

 


 青空とモクレンは相性が良い。

 雲の形にとらわれていると、心のなかが空っぽになる。

 虚無、という用語などが去来してきた。

 植物の品種の多さには驚かされた。

 小説を書きはじめた習作時代から、約20年間は、純文学を書いていた。

 その頃は植物などは丹念に観察し、描写していたものだ。

 今こうして、シャクナゲを観察すると、純文学の執筆よりも、尾瀬を思い出し、山に登りたくなる。


 公園内は丘陵地帯だった。小高い場所に行くと、広島・宇品あたりの海と宮島が遠望できる。


 植物園から帰り間ぎわになると、早朝の講演の参加者から電話が入った。別途「幕末の講演」依頼の打診だった。

 次に広島に来たら、私が知らない広島を発見してみたい。探せば、それなりにあるだろう。そこでは思いがけない出会いがあるかもしれない。 

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