女形と男役がおりなす喜劇『身替主人』(上)=浮気は不倫に非ず
復興支援チャリティー公演 S-NTK第2回公演
東京・大井町きゅりあん 2015年2月7日
※ 物語は写真イメージから創作したストーリーであり、歌舞伎の底本、主催の脚本とは無関係です
大黒屋の大旦那の清兵衛(五月梨世)は羽ぶりがよいが、その実、婿養子の身だった。
「女房にはとくか頭が上がらないな。隙あらば、ちょっと良い女に……」
清兵衛は下心たっぷりである。
「こんな好い男は、所帯を持っていようとも、女が放っておかないさ」
男は自尊心が強くなければ、世のなかは渡っていけない。そう信じて疑わない。
「やっぱ。恋文がきたぜ。こういう予感は良く当たるな」
江戸時代にはなんども奢侈(しゃし)禁止令が出ていた。幕府の改革は赤字解消の策で、武士も町人も、つねに節約第一だった。
派手な服装の外出は禁止である。財力のある大店の奥方は、家屋内で、華美な服装を身につけて愉しんだ。
むろん、大黒屋のお絹(帆之亟)は例外ではなかった。高価な絹の絢爛豪華な着物に、鼈甲(べっこう)の髪飾りだ。
この手の奥方は、自分が最高に美しいと、信じて疑わない。嫉妬(しつと)心は、とてつもなく強い。
「さては、どんな手を使うかな」
幼馴染の小春が、大坂の小唄の師匠をしている。このたび江戸・浅草に戻ってくる、と恋文が届いたのだ。
「この機会は逃せられない。小春も手紙で、逢いたがっているし」
清兵衛は思慮(しりょ)したあげくに、仮病をつかい、女房のお絹を煙にまいて、こっそり外出することに決めた。
「実はな」
「どうしたの。急に元気がなくなったみたい」
「そうだろう。いましがた医者に行って診てもらったらな。ケロリに罹(かか)っていると言われた。1か月は養生しないとだめらしい」
「コロリですって。恐ろしい。そんな恐ろしい病気に、大切なあなたがかるだなんて」
「ちがう。ケロリといってな。難病だ。とくに女に伝染すると、大ごとになるらしい。6尺以内に近づいたら、危ない」
「わたしっ、どうしたらいいの?」
「愛するお前にはすまないが、わたしは家を離れて、1か月ほどどこか遠く療養に出かけてくる」
「1か月だなんて、わたし耐えられない。哀しい。死んでしまいたい」
「お前が死んだら、どうなるんだ、この大黒屋は。1週間、1週間で戻ってくるようにする」
清兵衛は何としてでも、このお絹の眼をかいくぐりたかった。
一方で、浮気がばれると怖い。こんな嫉妬の強い女に、浮気がばれた暁には、離婚騒ぎになる。それも勘弁ねがいたい。
「わたし介護で、あなたについていく」
「そんな派手な着物で外出は禁止だ。美しい姿で、お絹は家のなかにいるべきだ。そうしろ。3日で帰ってくる」
「やだ、やだ。嫌だ」
「我まま言うな。難病がうつるとどうするのだ。ひと晩、ひと晩だけで良い」
「いいわ。ひと晩、あなたから離れて寝てあげる。でも、この家から出ないでね」
「えっ」
「別室で、床を取ってね」
こんな女のところに婿養子にきたのが、運のつきだ。わが身がつらいな。
小春に逢いたいな。
あの美貌の小春(野上奈々子)に逢えるなら、今夜ひと晩でもいい。がまんしよう。
いますぐに飛んでいきたい。羽が欲しいな。
清兵衛の脳裡には、ある妙案が浮かんだ。
「生きているうちに、頭は使わないとな」
「平助。頼みがある」
清兵衛は番頭を奇策のなかに誘い込みはじめた。
「ご主人のためならば、火のなか、水のなか、どんな事でも致します」
「ありがとうよ。番頭あっての大黒屋だ」
「ところで、どんな事ですか」
「実は、ひと晩、わたしの身代わりで寝床に入っておくれ。言っておくが、ぜったいにお絹に身替りだと、ばれたらいけないよ」
「駄目です。それだけはダメです。お断りします」
「火のなか水のなか、そう言ったじゃないか。あれは嘘かい」
「身替りがばれたら、恐ろしい奥様にどんな仕返しされるか。想像するだけで、身震いします」
「そんなに怖いのか。男は度胸だよ。1両だそう」
「そんなはした金では駄目です。もう一声」
「慾が強いな」
「金目当てにしろ。嫌なことを引き受けたな。奥様に見つかったら、どうする?」
平助(若杉民)は、蒲団をかぶってみたが、恐怖はつのるだけだった。
「断っておけばよかったな。奥さまにばれて、くびになったら、2両なんて、メチャメチャに安い。だんなに乗せられてしまったな」
店の小僧が夕餉を運んできた。
奥さまの手料理で、病人食の特別な調理だという。
「冗談じゃない。奥さまの料理なんて、食べられたものじゃない」
箸をつけておかないと、奥さまが来て、食べなさい、食べなさい、としつように勧めるだろう。
「うえ。まずい。こんな不味いものをどうやって作れたんだ」
平助は一口ごとに吐き気をもよおした。
胸がむかつくどころか、胃臓ごと飛び出してきそうだ。
「おい。番頭さんはどこに行った?」
「飛んで行ったよ」
「人間に羽なんか、あるものか」
「口留されているんだ」
「口止め料は幾らだ。言わないと、家のなかでふれまわるぞ」
「それは止めろよ。旦那の身代わりで。寝床に入っている」
仙太郎(雨川景子)と百太郎(まるのめぐみ)は、番頭からはした金をせしめて、協力者になった。
「あなた。あなた。具合はいかが」
深夜。奥さまは寂しくて、心配で、とても一人で眠れず、清兵衛の寝床にやってきた。
身替りは大変だ。
「ここでばれたら、どうなる」
脅えるほどに、蒲団が震える。
奥さまは悪寒がひどいのだと、なおさら案じる。
「やばいぞ。やばいぞ」
仙太郎と百太郎は逃げ出していく。
「あなた。あなた。口も利けないほど、容体が悪いの」
お絹は蒲団の側に近寄った。
「いやよ。わたしを残して死んでしまったら。わたしも死ぬからね。あなたなしではとても生きていけない」
お絹は、良人のケロリなら、わが身に伝染してもよい、そんな覚悟を決めた態度だった。
「ねえ。一声でも聞かせて。生きている証しを示して」
奥さまは布団に被さって、顔を見ようとする。
【つづく】