尾上五月・尾上はる『あやめ売り』より=写真で観て、愉しむストーリー
おどりの会・「第23回地域友好の集い」が、2014年5月5日(祝日)に行われた。主催は若竹会で、場所は品川区荏原文化センターの大ホール。踊りの演目は32におよんだ。
元宝塚歌劇団の男役・尾上五月さん(左)が出演するので、カメラを持って出かけた。尾上はるさん(右)とともに、『常盤津あやめ売り』を踊った。
尾上五月さんは粋な男役だった。日本舞踊の男役はとても似合う。
演目の「あやめ売り」の商売は、現代では皆無だ。
「あやめ」と「カキツバタ」とはどう違うのか。
堀切菖蒲園(葛飾区)などに行けば、園内に説明書がある。何度か読んだけれども、記憶する気がないから、頭にとどまらない。ともに、花ショウブの一種だろう。そんな軽い気持で、舞台を観ていた。
尾上はるさんは、ここ数年にわたって『さつき会』で観てきた踊り手だ。純日本風の女性で、艶な踊りがいつも印象に残っている。
時代小説で女性を描くならば、良きモデルだろう。美麗な容姿からの想像もたやすい。濃くなく、淡くもない、男女の愛情物語にすれば、展開がうまく運びそうだ。
背後の男性は、「後見」の帆之亟さんである。日本舞踊、歌舞伎、能などで不可欠な存在だ。この踊りの会が終わった後、杯を交わした。彼から聞くまで、「後見」という職業があるとは知らなかった。
彼は忠臣蔵で大石力を演じた、名俳優である。「後見の出来しだいで、舞台の成功も違ってくるのです」と教えてくれた。プロ俳優だから「後見」ができる、大変厳しい職業だという。つまり、演じる人のすべての状態を知り尽くさないと、よき後見とはなれない。
「後見」の見習いの男性が、酒の席に同席していた。先輩(帆之亟さん)のアドバイスを一字一句という感じで聞き取っていた。
そばで見ていて、芸の道、芸能の世界はじつに厳しいなと思った。
尾上五月さん、尾上はるさん、ふたりの呼吸がぴたり合っている。舞台そのものが江戸時代になる。浮世絵の世界に入った心持にもなれる。
そこには大川(隅田川)の河岸で舞う、芸妓の華やかさがただよう。
この情景を書くとすれば、どんな描写だろう。
大川の岸辺で、若夫婦がなにやらもめているな。まだ新婚のようだ。大店の息子かな。ちょっと遊び人風にも見えるけれど。
「なに拗(す)ねてるんだい。それとも、焼きもちか」
「知らない」
「わかった。ちょっと寄り合いがあって遅くなっただけだよ」
「花ショウブを観に、堀切菖蒲園に出かけるから、時間を守ってね、とあれほど約束したのに」
短編小説なら、こんな書き出しのセリフが浮かんでくる。
こんどはカメラマンの目で見てみる。一瞬にして、最も妖艶な姿に魅せられてしまう。
解析すれば、野暮ったいけれど、身体の線、斜めの首筋、手の上下において、艶(あで)やかさがただよう。均整が取れた、なまめかしさ、色っぽいさ。まさに 妖(あや)しいほどに美し過ぎる。
「ちょっと待ちなよ」
「もういいわよ。ほっておいて」
「そんなにも怒ることはないだろう」
こんな経験はだれにもあるだろう。男と女の間で、ときにはこんな愛の表現も必要だろう。
「空は青く、川は流れる、花は咲く。この世は明るく、だ。なにごとも晴れやかに、大きな心で生きるんだ」
こんな男ぽいセリフが聞こえてくる。
「この深川にはたくさん言い寄る女がいた。そのなかでも、君を選んだんだぜ」
「焼きもちを焼かせるのが上手ね、あなたって」
「君しかいないって」
「ほんとうね。嘘じゃないわよね」
ヤジが許されるならば、「男の甘い言葉に乗るな」と一言声をかけてやりたいな。
男はきっぷのよさ。
「さあさあ、花ショウブを観に行こうぜ。行くならば、堀切だよ。さあ、きげんをなおして」
「急に、態度が変わるんだから、あなたって。憎めない性格ね、ほんとうに」
花しょうぶの宴で、ちょっいと一杯。
宝塚の名男役でならした、尾上五月さんならではの踊りだ。
実に、見事な踊りだ。
「あなたって、また酒で私を泣かせるのね。言い訳ばかり聞かされて。あなたよりも、酒が憎いわ」
こんなセリフは日本舞踊と時代小説の世界かな。
新婚から、やがて熱は冷めていく。
酒癖が悪くて、手をあげてしまったら、もう私たちは終わりよ。
あたしを泣かせてばかりの人生。これも宿命かしら。
誰に相談しようかしら。
「後見さん、どうしたら、良いのかしら?」
「旦那の酒癖の悪さ、あれは病気だよ」
「そんな一言で、片付けないで」
「もともと、あんたたちは不釣り合いの結婚だった。内心は反対だったんだ」
「そんなこと言われても」
「あきらめるしかないな」
機嫌を直して、さあ、踊って、踊って。
あなたって、にくい人ね。
わたしの「心のきずな」を切れなくしてしまうのだから。