広島・尾道は水色の桜と文学の町=カメラで訪ねて
輝く球体のシャボン玉の、極薄の被膜を通して、うすべに色の桜花を撮ってみたい。
この構図が長く私の頭のなかにあった。
花の咲く時期はわずかだ。そうチャンスがあるものではない。
成功したから、華やかな気持ちになれた。
尾道市・千光寺公園で、シャボン玉で心地良い時間を過ごす若者たちがいた。私なりに撮影の趣旨を説明したところ、快く承諾して協力してくれた。
それが「みこちゃん」「みかさん」「モッチーさん」の3人の女性だった。(順不同)。
最高のショット写真が撮れるまで、彼女や、ともにいた男性が何度もなんども、風船をつくってくれた。
敬意を表したい。
尾道は古寺が多く、往年の文豪が住んでいた、古きよき時代を偲ばせる。
若者の観光客が多い。それも、なぜか若い女性に人気がある。
林芙美子の「放浪記」の第2部の1節は、汽車の車窓からみた尾道の情景だ。
『海が見える 海が見えた 五年ぶりに見る尾道の海は懐かしい』
山陽本線の踏切を渡れば、林芙美子の通った小学校、さらに千光寺への細い道になる。
『ちんちんちんちん』
最近は都会で、ほとんど聞けない音が残っている。
踏切を渡れば、どの路地も曲がりくねり、千光寺の山頂へとつながっている。
いずれも急坂である。3、4分で、眼下には尾道水道が見えてくる。
視線を手前に引けば、眼下には土堂小学校がある。
ここは林芙美子が通った母校。恩師小林正雄と出会ったところだ。
ともかく狭い急坂を上る。両手を膝について登っている人が多い。
途中の一服で、ふり返ると、港町が拡がる。
もうこんなにも登ってきたのか、と驚かされる。
ソメイヨシノは咲く期間が短い。この季節は春雨が多い。満
開のうす紅色の桜と青空が重なり合う。このタイミングが合えば、快い花見見物になる。そして、心は冬からの脱却し、さわやかな気持ちになれる。
桜が左右から包み込んだ、半円形の展望台がみえてきた。花見客が小粒で浮かぶ。
まだ距離がありそうだ。
尾道駅からもよく見える、「尾道城」だが、同市の観光パンフレットには載っていない。
まったく無視されている。三層のお城は観光図にも載らない。全国でも皆無だろう。
「尾道の歴史には、こんなお城はなかった。偽ものを堂々とさらす。尾道の恥だ」
現代人がかつてに「尾道城」をつくったけれど、ついには廃墟になった。
住民の批判で落城したのだ。
取り壊さないところが、微妙に観光的だ。
千光寺から見える、尾道水道は絶景だ。
天然の美と、人工的な橋や建物が一体化している。
春日差しと潮風が快い。若者たちは恋を語りにやってくる。
行楽日和のなかで、アコーディオンの音が流れる。
平安・鎌倉時代から、尾道は海運の発達した港町だった。いまなお船員が多い。
船員帽子をかぶった奏者が、心地よく、昔懐かしい曲をかなでている。
春かすみの瀬戸内海こそ、情感がある。
不透明感の風景のなかで、幾多の小島が浮かぶ。
眺めるほどに、島々で活躍した、村上水軍などの古代ロマンに誘い込まれていく。
母親は大変だな。
子どもの情操教育で、花見に連れてくる。
大人になれば、この場の記憶などみじんも残っていないだろう。
だが、母の優しさは確実に子どもの心で育つ。
大人になると、それが母親の良さになる。お袋、という言葉にも変換される。
千光寺公園の表がわは尾道水道、裏手は桜咲く箱庭の情景だ。
この二面性が、広島県内でも随一の桜の名所になっている。
千光寺の夜桜は有名だ。提灯が燈れば、港の無数の灯りと重なり合う。
夜桜見物に反して、昼間の人出は思いのほか少ない。
地面に映る提灯の影の列を撮ってみた。
写真を見る目は、影よりも、人間のほうにいく。
「人間は人間に感動する。だから写真には人を入れなさい」
写真エッセイ教室で、講師の私はいつもそう指導している。
まさに、この写真がそれを証明する。
ソメイヨシノ桜の花弁には心惹かれるが、幹には心を向けないものだ。
どす黒く、樹皮が荒れている。
この幹が、張り出した枝葉を支えているのだ。
「これを撮ると、斜面が急だ、と表現できるな」
そんな狙いの写真だ。
それにしても、この程度の坂道で……、怖がりだな。
港を鑑賞する人たちが、一枚岩のつるつるした岩肌の上で、スリルを満喫していた。
先刻の坂道で、後ろ向きで下るおばさんを、ここに連れてくれば、間違いなく怖がるだろうな。
『シャボン玉を通した桜花』
この写真の題名にしよう。
長年の願いの桜が撮れた。それで満足したので、尾道市が売り物にする、志賀直哉など文人たちの居宅には立ち寄らなかった。
志賀直哉は日本ペンクラブ3代目会長だ。会員の私としては悪いことしたかな。