A025-カメラマン

今季一番の寒波到来、雪の盛岡にて=写真散策


盛岡に来て、感動した一つが赤煉瓦の建物だった。明治44年に盛岡銀行本店として建築された。

明治時代の洋風建築の代表的なものである。保存はしっかりなされていた。


「北上川」の情緒を味わってみたかった。9-12月にかけて石巻の河口から「鮭が上る」と明記されていた。

真冬の2月末ともなれば、渡り鳥が静かに川面を泳いでいる。


盛岡城址に行ってみた。

雪のない瀬戸内に育ったせいか、雪景色が静かな感動で心にしみてくる。

宮沢賢治や石川啄木の詩歌の碑よりも、私にはこちらの情感の方が良かった。


真っ白な雪上に散った、1枚の枯葉にも心が奪われる。

雪国育ちの人はきっと笑うだろうな。


台座から、銅像が消えていた。なぜかわびしい。

軍馬に乗った将校は、南部家42代の南部利祥(日露戦争で戦死)の騎馬像だったと表記されていた。

花崗岩で組まれた石垣は美しい。しかし、天守閣はない。明治維新において南部藩は朝敵の立場に置かれたことが影響しているのか。


 橋の欄干から北上川の渡り鳥をじっと眺めていると、行きかう人が足をふいにとめてから、「何事か」とのぞき込む。
『何もないじゃないの』という表情で、みな立ち去っていく。
 それが滑稽に思えた。


 取材先の人に電話して、「わんこそば屋」を教えてもらい、老舗だという東家にきた。

 岩手山に登った経験はあるが、盛岡市内を歩いた記憶はなかった。この建物を見て、そうか、学生時代に、叔父に連れられて一度来たな、と思い出した。

 何杯食べれるか。かいもく見当がつかない。「急がず、汁を飲まず、胃のなかに蕎麦を送り込めば、たくさん食べられますよ」、と店員からアドバイスを受ける。

 なぜか挑戦意欲がわくから、不思議だ。

 ソバを食した杯数の証明書をくれる。

 貴重な証明なのか、ただの遊び心なのか。その証明書の値打ちはわからなかった。

 開運橋にやってきた。岩手山の眺望には、盛岡市内で最高の場所ですよ、と教わってきた。

 快晴なのに、遠景には淡い雲がかかり、山容は見えない。2度も、3度も、時間差できてみた。

 高校生らしい女子学生が立ち話をしている。氷点下8度で寒いのに、平気なんだな、と妙に感心させられた。

 河岸の雪景色のなかに、通行人が1人。それすら珍しかった。

 夕方、そろそろ盛岡を発つ時間になってきた。もう一度開運橋に来てみた。

 岩手山が眺められた。じっと見つめながら、登山に明け暮れていた、20代を思い出す。

「強風で火山岩の小石が飛び、山頂に登りつかなかったな、あの岩手山は」

 交通費をかけてはるばる登りに来たのに、登頂できず、口惜しい思いをした。その記憶だけはしっかり残っている。

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