観光地はシーズンオフで、閑散とした倉敷=写真で散策
普通列車の旅が好きだ。途中下車が自由だし、距離によっては2日間、3日間と有効期限があるので、乗車券だけで2倍楽しめるからだ。
広島から岡山に向かう。ふらり倉敷で降りてみた。観光地の倉敷は1年間を通して、観光客が訪れるものだと思い込んでいた。
倉敷駅前から、商店街を通り、掘割が売り物の「美観地区」への人の流れが全くなかった。過去においては、行きかう人の流れで、ごく自然に倉敷川に出られた。今回は通りを間違え、案内板をみたり、地元の人に道を訊いたりしながら、遠回りしてやってきた。
12月半ばだと、なぜこうも観光客がいないのか。不思議だった。冬の北海道や北陸など、雪国に観光客が奪われているのか。
うるさい観光客がいなくて、のびのび川の情感が楽しめそうだ。
日本酒の「地酒」ブームだが、人通りが途切れるし、昼間から飲み屋に入るひともいないようだ。店内には、客の気配がなさそうだ。
こちらも昼間から酒を飲む趣味などないし、隣のそば屋に入った。これほど愛想の良い、観光地の飲食店はないと思えた。
むろん、店内には他のお客は誰もいない。
倉敷の美観地区でも、最大の撮影スポットである。川舟も動いていなければ、橋の上に時たましか、人がこない。犬を連れた、太ったおばさんがやってきた。
近景で撮ると、良い絵にはならないだろう。
この程度で、ちょうど良い。
観光地に来て暇つぶしでもないが、コーヒーでも飲もうかな、と思った。この時に、若者のカップルが通りかかった。
どうみても観光客ではないな。
別段、観光客を撮影に来たわけじゃない。
写真に若さが取りこめる、よい被写体だ。
「中橋」に近づいた。あの太った犬を連れたおばさんが再びやってきた。手前の欄干から身を出している。ずっーと止まっている。
「撮影にはじゃまだな。絵にならないな」
それでも、無人の写真よりも、良いか、と妥協してしまう。
高価なカメラを2台据えている、おじさんがいた。三脚を立てて、本格的だ。
ひたすら川面を狙っている。「人通り」そんなことは意識外で、期待もしていないようだ。
真似て、撮ってみた。
「人物がいない写真は、冬となると、なおさら寒々として味気ないな」
もしや、あのおじさんはカメラを見せびらかせていたのかな。
露天商の兄ちゃんは、独壇場だ。美観地区に唯一、路上に商品を並べた店だった。商いが成立せず、あきらめ顔である。
しかし、生活がかかっているのだろう、なおも粘っていた。
美術館の前に、ちゃりで通過していく、地元のお姉さん。
入館者がいなくても、塀のなかに館外整理のおじさんが一人立っていた。
「やることは殆どないし、掃除も終わったし。第一汚れないし。まだ、10分しか経っていないのか」
という顔で、腕時計を見ている。そんなふうにも思えた。
1日の労働時間が長く感じるだろうな。
このカップルがもっと川岸を歩いてくれたら……。倉敷川が取り込めたのに。
対岸をじっと見る。人が歩いているが、此岸(こちら)から回り込むほどでもない。
やってきた観光客が、入り口の奥を横目で見ながら通り過ぎていく。
店名を書きとめておかなかったので、どんな扱いの店かもわからない。
店主か? 立ち話ちゅうだった。
「今橋」へとやってきた。
観光シーズンならば、川舟が橋を潜る。
いまは、あの情景がなかった。
船頭さんはきっとわが家で団らんを楽しんでいることだろう。
「冬場は良いね。楽ができて。人疲れしないし」
そんな心境かもしれない。
冬の落葉の樹木が、美観を削(そ)いでいるとは思えない。
20代らしき女性がやっていた。
まわりには煩わしい人垣はいないし。
彼女たちは語り、楽しんでいる。
細い路地をのぞき見ても、観光シーズンの倉敷の人影がないだけに、
街には奥行きの味わいがあった。
道路に溢れる観光客がいないから、下校する女子学生は3列に並んで、自転車で行く。
1年間でも、こうしたことができるのは、おおかた冬場の一時期だけかもしれない。
明るく楽しそうに会話しながら、通り過ぎて行った。
招き猫も、お客が呼び込めない。
「ご利益はなさそうだ」
猫自身が嘆(なげ)いているようにも思える。
閑散とした、アーケード街を通り、駅に向かう。
観光地で、静かな旅ができたな。