A025-カメラマン

筑波山に登らずして、筑波宇宙センターへ=写真で散策

 私は夜型人間である。執筆は深夜行う。日が昇りはじめたら、「もう朝だ、寝なければ」という習慣が身についているから、急に早寝早起きはできないものだ。
 山が大好き人間だから、折をみて、登ろうとすると、現地の登山口に着くと昼前になってしまう。そうなると、登れる山は限られてくるし、おおかた低山である。
 
 明日は晴れだ。筑波に登ってみよう。
 その想いで、つくば駅にいた。駅前からつくば神社までバスだし、登山口に着けば、昼すぎてしまう。このところ、日没も早いし。
「これだと、山頂まで登っても、さして稜線歩きも楽しめないな」
 筑波学園都市は、文系人間にはおよそ縁がないところだ。そこで観光案内所に足を運んでみた。月曜日は殆どの施設が休館だという。
「そうか。月曜日だったか」
 このごろは曜日の感覚が薄れていたし、いまさら筑波山へ登るぞ、と気合を入れなおすには気怠い。
「筑波宇宙センターなら、きょうはやっていますよ」
 これまたバスの便が良くないという。

「元気に百歳クラブ」エッセイ教室の受講生で、時おり、宇宙のロマンを書かれる方がいる。その作品を思い浮かべて、「まあ、どんなところか、行ってみるか」と駅前で待たされたあげくの果てに、やっとバスに乗った。


 日本で最大規模の宇宙航空開発施設だという。入館したとたんに、宇宙の神秘に包まれた。これは思いがけない世界だった。
 「来てよかったな」という感慨があった。


 親子連れをみていると、子どもよりも、大人が楽しんでいる。

 宇宙は、大人のロマンかな、と思った。


 人間が地球から宇宙空間へ飛び立つ。ロケットの進化は限りなく続いている。それでも、全宇宙からすれば、ほんのわずかなのだろう。

 宇宙の先の宇宙はどこがエンドかな、と思うと、私にはとうてい理解できない。終わりがない先の終わり。そんなものがあるのかな? わからないな。


 筑波山に登るために、コンビニで弁当を買ってきていた。一般見学者も利用できる、安価な大食堂があった。そちらに足を向けると、巨大なロケットの側を通る。

「このロケットは本ものかな。張子かな」
 そんな疑問から、食堂に行く途中で、職員に聞いてみた。
「本ものです」
 一言返事だった。胸を張っていた。

 巨額な費用をかけて打ち上げられない、失敗作のロケットかな、と思ったりもした。
「実物だから、素直に見ておこう」

「スペースドーム」にもどってきた。ふたたびじっくり見つめる私の視線は、なぜかまず日本を注視する。隣はドイツ人だった。きっと自国を意識しているのだろうな、と一瞥(いちべつ)した


 人工衛星で、地球をみられる人はほんのわずかだ。だから、夢があるのだろうな。
「数百年先に通常の乗り物になれば?」
 新幹線に乗って、見慣れた車窓の景色などは、全く気にしない乗客と同じ類になるのかな。

 そこまで考えたりするのが、宇宙ロマンの魅力かもしれない

 国際宇宙夕ステーションの実験室では、長々と観察している人もいた。私は内心、「どうせわからないし、宇宙の本を書くわけでもないし」という想いだった。
 頭に詰め込む意識は皆無だったので、さらっと見ただけである。



 第二段エンジンがあった。機械工学に関心がある人は、魅力的な展示だろうな、と思う。
「これでどのくらいの値段かな?」
 こんなことを職員に訊けば、製作コストよりも、開発費がとてつもなく高いといわれるに決まっている。質問しないほうが悧巧だろう。


 戦後、東大の糸川博士が、ペンシル型ロケットを打ち上げて、日本中が沸いていたな、どのくらい極小なのだろうか。

 団体の見学は予約制らしいが、個人は予約なしだった。

 見知らぬ土地で、「観光案内所」に入る。それは私の旅手法の一つである。今回は山を登らずして、宇宙に行ってきた。
 期待ゼロのぶらり旅には、思いもかけない発見があったりするものだ。

 

「カメラマン」トップへ戻る

ジャーナリスト
小説家
カメラマン
登山家
「幕末藝州広島藩研究会」広報室だより
歴史の旅・真実とロマンをもとめて
元気100教室 エッセイ・オピニオン
寄稿・みんなの作品
かつしかPPクラブ
インフォメーション
フクシマ(小説)・浜通り取材ノート
3.11(小説)取材ノート
東京下町の情緒100景
TOKYO美人と、東京100ストーリー
ランナー
リンク集