立春が近づいた、スイセンと菜の花を求めて湘南へ=神奈川・吾妻山
真冬。その言葉一つで、外出がおっくうになる。立春と聞けば、もう春かな、どこか菜の花でも観に行きたいし、一足早く春を感じたいと思うものだ。
東京周辺となると、とかく千倉に代表される房総に目がいきやすい。
神奈川県二宮町の吾妻山は、菜の花が盛りだという情報を得た。どんな山岳か、装備は必要なのか、という思いが先に立った。
吾妻山のアクセスは抜群に良かった。東海道線の各駅停車・二宮駅で下車し、目の前だった。駅前には町営の案内板があり、迷うこともなく、まさに家族連れなどには手ごろな山だ。
標高136.2メートルである。駅が海辺だから、その高さだけ、山道を登ることになる。登り口から約300段あり、階段があるが、観光気分で登れる。
展望台の周辺には、スイセンの甘い香りが漂う。そこからは傾斜はなだらかになる。
やや汗ばんできたかな。そう思ったところで、吾妻山の山頂に到達した。眼下には、陽光で光る、相模湾が広がる。視線を引けば、菜の花畑である。
月並みだが、黄色の絶景である。
四阿(あずまや)があるが、春日差しを浴びたほうが心地よい。
花畑周辺には水彩画、油絵など、写生をする人がことのほか多い。
それらのキャンバスを遠慮なく覗き込み、そこから写実的な美しさを感じ取らせてもらう。これもたのしさの一つである。
土・日曜日は混むらしい。平日だったことから、山頂は全体に静寂だった。
グループが腰を下ろして、満開の菜の花の景観を楽しんだり、手作りの弁当を食べたり、おしゃべりしたり、写真を撮ったりしている。
多くは都会の喧騒を逃れた人たちだろう。どこまでも、のんびりした雰囲気だ。
整備された山頂公園は、富士山の景勝地だ。1月末の、この日は残念ながら、午後からは下り坂で、富士は雲がかかっていた。
それでも、失望しないほど、菜の花が魅了してくれる。
科学の進歩だろう、小学生までがケータイで菜の花畑で撮影している。そして、「ママ、パパ、見てみて」と親の側に駆けていった。
昭和と平成時代の格差がだんだと明瞭になってきた。
子どもたちは天真爛漫というか、ふだんの塾通いから解放されたのだろうか、あちらこちら駆けまわっていた。一休み。崖の上から、絵を覗き込んでいた。
「危ないよ」と注意する大人もいるが、子どもたちは意に介していない。女子もアバンチュールが好きな年頃でもある。それだけはいつの時代も変わらない。
石碑をじっくり読むハイカーたち。吾妻山を経由する、ハイキングルートがあるようだ。
落葉樹の森も、真冬になると、裸木の枝の紋様を芝生に写する。網の目の美は、どこか人間の毛細血管をほうふつさせる。
樹木の血管として、大地に生きているのだ。そんな想いにもなれた。
写生画を楽しむ人たちはひたすら菜の花畑を描く。背後に屹立する、落葉樹の扇状も絵になると思うが、彼女たちの視線はつねに、黄色く咲く満開の菜の花にしかなかった。
吾妻山の山頂は、開放された芝生である。カップルが語り合っている。どんな話題なのだろうか。きっと肩を並べているだけでも、幸せ感があるのだろう。
子どもたちは駆けるのが大好きだ。ともかく走り回り、はしゃぎ、笑っていた。
春の陽は傾き、別世界のシルエットを造りはじめた。太陽の想像力は見事だと言わざるを得ないだろう。あらゆる表情を変えさせてしまうのだから。
富士山を撮影したいカメラマンが、西方をじっと見つめている。きっと今日は空しいだろう。そう思われるほど、時間とともに、上空に雲が広がった。
富士はどの方角からも、月並みな姿だが、日本人をどこまでも感動させるらしい。