「カメラマン」「寄稿・みんなの作品」新設の案内(1)=5年間を省みて
【当該・HPの5年の歴史を顧みて】
ライブドア・PJニュースの市民記者になったのが、2005年11月でした。その活動を押し進め、記事をさらに広く読んでいただくためにも、ホームページが必要になりました。
IBM社ホームページ・ビルダーは私の手に負えず、IT関係の2人の方に強力な支援をいただき、ホームページを立ち上げることができました。
「穂高健一ワールド」がスタートとしたが、2006年の春で、肥田野正輝さんの好意によるものでした。
ほぼ同時期に、蒲池潤さんの好意から「穂高健一の世界」もスタートできました。
2つのホームページを持った、贅沢なものになりました。
肥田野さんから、HPを運営・管理する秘訣を聞きました。「コンテンツを継続することです。絶やさなければ、読者がつきます」という一言を頂きました。
ライブドア・PJニュースには精力的に取り組み、毎月13-17本ほど記事を書き続けました。
穂高健一のHPが継続して読まれる。それが主たる目的でした。
記事に入り込むほどに、長年にわたり伊藤桂一氏の指導の下に小説家になれたのに、小説の執筆が疎かになっている。これではだめだな。そんな気持ちから、「東京美人シリーズ」を立ち上げました。「写真小説」というジャンルの開拓です。
美人の方にもモデルになってもらい、ポート・レートを取らせていただきました。
写真を先行して、小説のストーリーを後からつけていく。執筆としてはかなり難易度の高いものでした。ふつうは小説が出来上がってから、イラストを描いてもらう。それが逆でしたから。
このシリーズは現在休止しています。だが、「いつか再開するぞ」という気持ちは失っていません。
現座は小説の執筆では、一本の連載を持っています。
隔月誌「島へ。」(海風舎、780円)に、ミステリー小説「海は燃える」の連載です。これはイラストでなく、私が撮影してきた写真を使っています。場所は、広島県・大崎上島の「木江(きのえ)」という、かつて瀬戸内でも最も遊郭で栄えた港です。
ミステリーですから、密室とか、取調室とかが出てきますが、写真で表現する場所してみると、味気ないし、長々と展開できない、という制約を受けていきます。
写真でも見せる、離島の情景、情感とか、岬の集落の風景とか、海上を行きかう釣り船とか、写真まで考えた、ストーリーの工夫もしています。
ちなみに「美大生誘拐事件」です。主人公は鎌田雄次(観光地理学の准教授)です。第8回目が6月1日号発売に掲載されます。
いまや、木江港の写真ネタが段々狭まり、ストーリーの展開で、「ここは一度写真に使っている」と、新たなもの探しに苦労させられます。
「はじめから、イラストにしておけばよかったかな」と、内心は後悔することもあります。しかし、苦労して、手間ひまがかかるほどに、作品は読者に伝わる。その精神で執筆しています。
葛飾区には、寅さんで知れ渡った柴又・帝釈天や、菖蒲では人出が多い水元公園や堀切菖蒲園があります。こうした知名度の高いところはあえて避けてきました。
コンセプトは有名でない下町・葛飾のふつの生活を取り上げました。素朴さを前面に出し、親子のふれあい、商店の買い物風景、子どもの遊び場、お祭りなど、一つひとつ写真とエッセイで展開しました。ある意味で昭和の風景です。
葛飾区教育委員会・生涯学習課の主事の目にとまりました。「かつしか区民大学」が正式発足する、一年前のプレー事業の段階から、声をかけていただきました。
区民記者を養成講座する講師の任をもらいました。
実質2年目となった、2010年「かつしか区民大学」の第一期生の講座が8回にわたって展開できました。受講生は18人でした。
その卒業生たちが自主クラブ【かつしかPPクラブ】を発足し、いま新たな活動に入っています。
かれらの活動による作品が、「穂高健一ワールド」で掲載する、そうしたサポートができないだろうか、と考えました。
撮影場所:栃木県・足利フラワーパーク