千葉・内房の気ままな散策(人間の魅力)=写真エッセイ
3月ともなれば、春の盛り、初旬は梅から桜へと移る、端境期である。ここぞ、と思う花の名所はないものだ。河津桜はもはや終わっている。ならば、房総にでも出かけてみるか、という気持になった。
3月8日は一昨夜からの雨が上がった。明け方にはまだ厚い雲が残っていたが、天気予報を信じてみた。
東京駅から君津で乗り換えた。駅の備え付けの観光パンフレットを手にした。それでも、ここぞ、と思う場所はなかった。保田は20代の頃、海水浴にきたことがある。それを根拠に、ともかく同駅に降りてみた。
ホームの先端の踏み切りをわたり、保田神社の前で、初老の女性から声を掛けられた。水仙と頼朝桜(河津桜と同種)で有名だという。
「遅かったね。水仙も、桜も終わったし。まだ少しは花が残っているから」と、慰められながらも、保田川への道順が教えられた。
すれ違う町の人から、またしても声がけされた。「保田に来てくれたのに、桜はもう散り始めている。時期が悪いときにきたね」と気の毒がられた。人情を感じた。花よりも、見知らぬ町で、人のふれあいの旅だと、気持を切り替えた。
次に出会った人は、町の特徴を紹介してくれた。
「若い者がいない。そのうちの、うちら年寄りが死んだら、この町は無人になるよ」
深刻な過疎化を語る。房総でも、ここが一番の過疎化が進んでいるという。
保田川の土手には、ピンクの葉桜と黄色い菜の花、水仙も季節はずれでも咲いていた。ふいに、東京ナンバーの車から声を掛けられた。
「頼朝塚はどこでしょうか」
「さあ? 頼朝の上陸地点はこの近くの海ですから、海岸で尋ねられたらいかがですか」と答えておいた。
保田川から鋸山にでも登ってみるかな。きょうは春霞で遠景の三浦半島はかすんでいそうだ。そう思うと、ロープウェーのある鋸山ハイキング・コースすら、興味がなくなってしまった。
目的地はなく、気ままに農道を歩き続けた。時には腰を下ろして、日向ぼっこう。登山やハイクのように、時間も気にしない。リフレッシュな時間が過ごせる。心地よいものだ。
菜の花畑の隣り合う畑で、クワをふる農夫(推定90歳)がいた。シャレた二階建てに赤い車が駐車している。おおかたそこが住まいだろう。農夫に声を掛けると、これからの耕作について語ってくれた。
話の合間には、土を指先で揉んで、粘りなどを感触を確かめている。金儲けでなく、畑(土地)を心から大切にしている、その姿に感動させられた。やがて、農道の側に、花栽培の温室が見えてきた。のぞき込むと、色彩のよい花が出荷を待っていた。
お腹は空いたけれど、コンビニはない。あまり気にしないことにした。
鋸山から下山してきた集団がやってきた。
日本人は群れて行動するのが好きだな。一瞬、そう思った。だけど、単独の歩き、単独行のハイクは不安だと思う人もいるだろう。人それぞれが自分流に見知らぬ土地、野山を楽しめばよいのだ。ものごとに流儀は必要ない。群れてもいいのだ。
そんな考えにたどりついた私は、大勢の後姿を見送った。
踊りながら、2人の老婆がやってきた。愉快そうだ。やがて4人になった。「村一番の歌が自慢」「88歳で、踊りが大好き」「おしゃべりが生甲斐」という人たちだ。ここでも過疎化の話題が中心となった。
今年の小学校の新入学生は7人だったという。「私たちは3クラス、約150人いた」と語る。
「元気な仲間で、好きなお喋りができていいですね」
「これが生甲斐よね。100まで、生きないとね」
陽だまりの老婆たちは、長生きの話となった。
「寝たきりで100歳までじゃダメですよ。元気じゃないと」
「いいこと言うわね」
「病気と薬の話題を止めたら、長生きできますよ。墓の話なんて、死んだあとはずっと付き合うわけだし、いまから話題にすることはないですよね」
「そうよね。これから、墓と薬の話は止めよう。明るい話題で、明るく生きないとね」
4人は笑い転げながら、同調してくれていた。
「うちらは女衆だから、きょうは桃の節句よ」と愉快に語る。「何歳経っても、娘さんですね」「うれしいこというね。あられを食べなさいよ」と一袋もらった。さらには、手製のお茶(ペットボトル)までも差し向けられた。良い味だった。
「ここから富士山がはっきり見えるよ。きょうは見られないけど」
「残念だな。富士が見える日を狙って、またくるね」
そんな別れの言葉をむけた。
農道を行くほどに、陽が傾いてきた。さすがに空腹は耐えがたく、保田駅に向かった。
鉄橋の下にも、菜の花が咲く。植物の生命力、という力強さを感じた。
鏡の割れた、カーブミラーには駅舎が映る。もうすぐだ。
駅前の「お弁当」ノボリの見て、立ち寄った。女店主が「こんな何も咲いていない時期にきてもらい、(町民として)申しわけないわ。佐久間ダム湖のソメイヨシノ桜がとても素敵だから、来てくださいね」と愛想よく、購入した弁当を温めてくれた。
海岸に出て、堤防に腰を下ろし、弁当を食べた。東京湾の潮風が心地よかった。花見物よりも、人間のふれあが楽しかった。小さな感動を胸の奥にしまいこんだ。
東京から片道、約2時間半(各駅停車)で味わえた、気ままな旅だった。