描く 田代 真智子
【まえがき】
わが家に2枚の絵ハガキが舞い込んだ。これは、絵なの?写真なの?という疑問と興味が沸く。どうしてもこの作品を直に見たいと思い、
「誰からもらったの?誰が描いたの?」
ともらってきた夫に尋ね、早速、取材を申し込んだ。
快く受けてくださり、お話しを訊かせてもらう約束ができた。
葛飾郵便局がある四つ木一丁目周辺は、戦災を免れたために基盤整備が充分でないまま住宅と工場が混在している市街地である。そんなことから『東京都防災都市づくり推進計画』で重点整備地域に指定されている。
取材の日は、朝から日差しが強く、約束の時間15分前に四つ木一丁目のご自宅に到着したが、既にうちわで扇ぎながら店先に立って私を待っていてくれる菊地榮之助さんの姿があった。
以前は、惣菜店であった店内には、菊地さんの作品が壁いっぱいに飾られている。
冷たい麦茶を出してくれた奥様のヒロ子さんは、惣菜店の長女で榮之助さんは、お父さんに気に入られ、昭和38年に秋田から婿養子となってこの四つ木に来た。当時この辺りには、映画館が3つもあったというから驚きだ。その1軒は、通りを挟んだ目の前にあり、「よく観に行ったね」とご夫婦で懐かしそうに語る。
秋田県で育った菊地さんは、子供の頃から絵が得意で隣に住んでいた従兄といつも絵を競っていた。県大会にも出品したことがあり、
「従兄と二人で前に出て褒められるのはいつも絵のことだったな。」
と目を細めて思い出話しをする。菊地さんの頭の中では、幼い頃の絵にまつわる場面がいくつも浮かんでいるように見えた。
今はギャラリーだが、惣菜店を閉めてからは、ガレージとして使っていた。作品を飾って人に見せれば?という知人の提案で展示するようになったと語る。
菊地榮之助さんは、秋田県湯沢市出身の画家『岩井川俊一』の内弟子として絵を学んだ。月間少年誌『漫画王』に連載された絵物語のライオンやシマウマは、リアルな表現で才能を認められていたが、昭和30年に24才の若さで没している。
『岩井川俊一』は、画家『小松崎 茂』の一番弟子である。『小松崎 茂』は、イラストレーターでもあり、空想科学イラストや戦記物、プラモデルの箱絵などで活躍した画家である。
(画家 小松崎茂とその作品)
両者の影響を菊地さんの繊細な作品から見ることができる。現在81才の菊地さんの作品は、水墨画、水彩画、油絵と様々な画風、作風を持っている。気に入った作品は、絵ハガキやA4サイズにしてほしい人にわけてあげている。最近では、家紋を描いてほしいという注文があるそうだ。
写真なのか絵なのかと目を疑うような絵、いったいどのような技法でこんな絵が描けるのだろうと魅入ってしまう人も多い。取材中にも何人かの人が足を止め、作品を観て行った。
近頃は、細いペン先で細かく描いた以前の作品に色を着けて、また違った世界を創り出していると話す。
筆者が最初に見た≪ライオンの絵≫
現在は、四ツ木駅近くで仕事をしている菊地さん、お休みの日は、いつも絵を描いていると思うが、そうでもないらしい。
「描きたい時もあれば、描きたくない時もある。」
なんとも芸術家らしい話しぶりだ。
いくつもの賞を受賞して『美術年間』にも名を連ねている。
1988年4月 台北国際水墨書展に出品した時の記念賞状
最近受賞したお気に入りの作品 作品名≪霜柱≫
第26回全日本アートサロン絵画大賞展で優秀賞を受賞している。同作品は第41回「新日美展」に出展された。
葛飾区内で気の合った作家仲間たちで結成されている『アート自由6人+3』では、毎年展示会も開催している。
2017年は、9月25日から6日間。『葛飾シンフォニーヒルズ』2階のギャラリーで、書道・水彩・写真・アクリル・油彩・葉彩画・刺繍・刻字・篆刻など葛飾区のアーティストの傑作が観られる。
なんともユニークなネーミングは、最初は『アート自由6人』で始まり、そこに3人加わっただけなのだそうだ。
四つ木一丁目は、葛飾区の『四ツ木駅周辺地区防災街区整備地区計画』が進められている。
ギャラリーには作品を観に訪れた人や仲間と談話するために置かれているテーブルと椅子がある。街の小さな画廊は、地区計画によって16メートル道路に拡幅され、いずれ姿を消すことになる。
【あとがき】
風景の作品が比較的多いが、静物もたくさん描かれている。その中でひと際、目を引いたのは花の絵である。素晴らしい観察力だ。
これが81才の男性の作品だなんて、と感動に近い衝撃を受けた。そして、この言葉に心がほんのりした。
「花はいいよ。じっとして動かないから。」
私も子どもの頃、絵を描くのが好きだった。そんなむかしを思い出させてくれた今回の取材であった。
私が写した旅行の写真を見て、スケッチブックを買おうかなあ、なんて思っている自分がいる。
取材・撮影=2017年8月24日