「かつしかPPクラブ」の穂高講師が、ことし(2018年)4月1日に、長編歴史小説「芸州広島藩 神機隊物語」を発刊される。
「見本誌が刷り上がったから、作品を読んでみてください。鹿児島とか、御手洗とか、多々、取材に協力してもらったから」
そう前置きして、同書が私に手渡された。
私は鹿児島出身である。薩摩と芸州の経済・政治協力が、御手洗の密貿易、贋金などを通して克明に描かれていた。
著者の芸州広島藩にたいする想い、この著作への熱意が随所にほとばしっている。と同時に、取材のち密さと深さには驚くばかりだ。
戦場の臨場感がすごい。
神機隊の若者たちが、「民のために生命を惜しむなかれ」と、戊辰戦争で相馬藩・仙台藩に向かう臨む姿は迫力あるし、感動的だ。
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プロローグでは、広島護国神社の巫女(みこ)と宮司が登場する。愉快な会話で、まず歴史小説の堅苦しさをほどいている。巫女によって、浅野家の家史『芸藩志』が語られる。小説はこの芸藩志を土台に展開されていく。
広島は毛利のお城だった。関ヶ原の戦いのあと、福島正則が広島城主になったが、すぐに転封となった。代わって、浅野家が紀州和歌山から転封してくる。42万石だが、実高は35万石で、7万石の経済ギャップに、広島藩は毎年苦しむ。貧乏に耐えて耐え抜く。ここに「辛抱と強い団結」という広島の風土が生まれてくる、といかにも広島出身の著者らしい目で、経済、文化にも筆をはこぶ。
やがて、第二次長州征討が起きる。芸州口の戦いが克明に描かれている。 広島領の民は長州軍と幕府軍のはざまで甚大な被害をうけた。
つまり、広島藩の武士や農兵は、領内の民を守れなかったのだ。その無念さ、口惜しさが、読者にも伝わってくる。
「ここは民を守れる強い軍隊をつくろう」
広島藩の若者たちが神機隊を立ち上げた。「民のために生命を惜しむな」。それが神機隊の理念のひとつとなった。
読者としては、神機隊の身分・職業の出身別の構成が欲しかった。
大政奉還の前後から、薩長芸軍事同盟まで、ドラマの盛り上がりの一つである。読者の私は、辻将曹・小松帯刀・西郷隆盛らの場に、自分も同席しているような臨場感があった。
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志和盆地での、神機隊の洋式軍事訓練は、興味深く読めた。隊員となった『侍』たちが、よくぞ過酷な訓練に耐え抜いたと、感動的だった。
かれらの理念は平和主義者だった。なぜ、神機隊は、自費で戊辰戦争に出兵したのか。かれらは、政治的の権力欲や名誉欲のためでなく、「民に安堵を与えるために、この戦いを早く終結させる」という目的だった。
戊辰戦争が勃発した。もし勝敗もつかないまま5年、10年、20年と戦争が長引けば、国土は荒れ、民は飢餓に苦しみ、秩序も倫理も欠落して人心も荒廃する。やがて、虎視眈々(こしたんたん)と狙う外国の餌食(えじき)になってしまう。
1日早く戦争を終結させれば、一日早く民に平和と安堵を与えられる。それをもって天皇制の明治新政府が安定する、と信じて疑わなかった。
「仙台・青葉城を陥落すさせれば、会津は降伏する」
かれらには迷いがなかった。相馬・仙台・旧幕府軍の連合を相手に、連戦・連夜の戦いで、北上していく。すさまじい戦いに挑む。
神機隊のさまざまな戦闘場面で、読者である私は志和盆地の隊員たちの厳しい訓練の様子が目に浮かんだ。
私がかつて読んだ幕末・維新の著作は、戦闘の場面となると、大砲か鉄砲か白兵戦ばかりだった。
しかし、この「神機隊物語」で、著者が負傷兵への救急医療用の野戦病院や出張病院など、軍隊の転戦と外科医の活躍や医療の連動について、詳細に書いていることである。
最も印象的なもののひとつである。
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高間隊長が浪江で壮絶に死す。それでも、神機隊はくじけず、最後の一兵まで、「この戦争を早く終わらせる。民に平和をもたらすために」と戦に挑む。
先陣をつねに望む神機隊は死者、戦病死、負傷兵が尽きない。仙台領に近づくほどに、戦える兵士は極わずかになった。
神機隊の最後の戦闘ともいえる。
仙台領の駒ケ嶺での一列縦隊突進の場面は、本書のクライマックスである。隊員たちは、抜刀して突っ走る。敵の本陣の中央突破だ。それは亡き高間省三の頭脳的な戦法だった。
「 ここだ、こっちだ!」
と大声で指揮する、高間省三隊長の姿を見たにちがいない。
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神機隊物語の最後まで、義勇同志として、武士出身者も農商出身者も心ひとつにして戦う。心を打たれる。仙台・青葉城がついに陥落した。数日後、会津も白旗を上げた。
政権欲がない神機隊のかれらは、無欲すぎた。戊辰戦争のあと、明治政府の中央で権力争いに加わることはしなかった。歴史は勝者が作る。「薩長芸の進発(挙兵)・倒幕」なのに、芸州広島藩が消され、薩長倒幕となった。
150年経った今日まで、神機隊や広島藩の活躍は歴史から消されていた。
「現代の広島人は、幕末・維新に無力感を持っている。残念ながら、原爆前を知ろうとしない。現代と過去(歴史)との意志疎通ができていない」
著者が執筆される前に、そう語っていた。
『神機隊物語』で、広島藩の『芸藩志』が世のなかに広まれば、幕末史観が確実にくつがえる、という著者の熱意が読みとれた。それが私の読後感のひとつである。
「御手洗は幕末史の宝庫だよ」
著者のことばで、鹿児島の人を連れて、もういちど御手洗に行ってみようと思った。