まえがき
伊勢神宮は多くの日本人にとって、古くから特別な存在である。
特に令和元年は新天皇の即位に合わせ、11月14日に皇居東御苑に建てられた、大嘗宮(だいじょうきゅう)において、天照大御神をはじめ、すべての神を招き、陛下自らお祭りなされる一代一度だけの大嘗祭(だいじょうさい)が執り行われた。
これは斎田で収穫された米、それを元に創られた酒などで、神の威力を授かる重要な儀式である。
かつしか区民記者の私は、その前に伊勢まで旅行する機会に恵まれた。
今回は主人公の男性と謎の女性が交流する形式で、伊勢神宮が持つ魅力に迫っていきたい。それには、短編小説の形式がよかろう、と考えた。そこで、登場人物を設定した。
・ 慶太(けいた) : 葛飾そだちの28才で、独身男性。別れた父から受け継いだ、デジタル一眼レフでの撮影を趣味に持つ営業マンである。
・ 幸子(ゆきこ) : 年齢不詳。神社巡りが好きという謎の女性である。
【短編小説】
ぼくは慶太(けいた)という。
生まれは埼玉だが、幼いころ葛飾に引っ越してきたので、もう生粋の葛飾区民と言ってもよい。
ことしは大型台風が上陸し、関東も多くの被害に見舞われた。
即位の礼のパレードが延期され、皇居での大嘗祭も11月にずれ込んだと報道されている。
ぼくの家は両親が熟年離婚した。父からは愛用するデジタル一眼レフと、スポーツセダンを譲ってもらった。ぼく自身も恋人と別れたばかりだ。
だから令和になって、新たな気持ちになりたかったのだ。
会社で有給休暇をもらい、土日を挟んだ4連休でどこに旅しようか悩った。選んだのが、両親と子どものころに出かけた伊勢神宮だ。
国道1号線と東名高速、伊勢自動車道を経由し、朝9時過ぎに外宮に到着した。スマホの検索で「お宮参りは外宮から」と案内されていたのだ。
ようやく外宮の参道に並んで入る。ほっとしたせいか、腹の虫が「きゅう」と音をたてた。よく考えたら静岡の焼津インターで仮眠する前に、えび天そばを食べたが、それから半日は何も口にしていなかったのだ。
屋台のかけうどんをすすり、声を上げているボランティアの女性から無料で甘酒をもらった。薄着で来てしまったからだに、人の温もりがしみていく。
もっと甘い物がほしくなったぼくは、名物の赤福に寄った。
ずっとアクセルを踏んでいたので、足が腫れてしまい、かるい肉離れも我慢してきたのだ。
店の長椅子で抹茶をたしなみつつも、顔をしかめて腫れたふくらはぎをさすり続ける。すると、隣席から可愛らしい声を掛けられた。
「あの、だいじょうぶですか?」
朝からお酒も入っていないのに、若い女性から逆ナンパをされたのは、はじめての経験だった。彼女は白い小袖に、赤の緋袴(ひばかま)を着た巫女姿だ。
「ええ、すこし肉離れをしました」そう答えると、彼女は気の毒そうな顔で、柿渋色の小さな風呂敷から、膏薬が塗られた湿布をとり出した。
「母からもらった旅の常備薬です。よろしければ、これをつかってください」ひとり旅なのか? どうも、伊勢神宮の巫女ではないようだ。
最近は、旅先でSNSにアップするため、コスプレの衣裳を着る女性もいるらしい。色白で長い黒髪がきらめいている。
切れ長の目を持ち、清楚ながらも人懐っこい彼女なら、フォローしている人も多いのだろう。
湿布を足に巻きつけた。不思議なことにみるみる腫れがひいていく。足が軽くなって、旅に出る前よりも、ずっと晴れやかな気分になった。
「よろしければ、湿布をすこし譲ってもらえませんか?」
ぼくは代わりに赤福の茶代を、彼女のぶんも一緒に払った。
女性から「幸子(さちこ)」という名だと聞きだす。名古屋生まれで、牛肉で有名な松坂のアパートで、ひとり暮らしらしい。
彼女は気が向いたときに、ふらっと伊勢まで遊びに来ると語っていた。
幸子が二つの神宮を案内してくれる。前に観光のガイド経験もあるそうだ。
「外宮からお参りするのが、正式な参拝です。ここは、豊受大御神(とようけのおおみかみ)という、天照大御神のお食事を司る、神さまをおまつりしています。衣食住、産業の守り神としても、人々から崇敬されているのですよ」
「なぜ外宮から参拝するのですか」
「昔から外宮先祭(げくうせんさい)といって、天照大御神の御饌都神(みけつがみ)に食事を奉る、ならわしがあるからです。ちょっと、難しいですか?」
ぼくは「はあ」と言って黙りこんだ。幸子がやさしい口調にかわる。
「わたしは神社巡りが好きですけど、詳しいわけではありません。御饌都神は、万民の食物をつかさどる神徳あり、ひいては農耕生産の守護神なると教える神さまです。鎌倉時代になって武士はもちろん神道とは別思想の僧侶もこぞって参拝しました。あくまでわたしの考えですけど、外宮もいかず内宮だけ拝むのは、失礼にあたると定着したのでしょう」
正宮の「豊受大神宮(とようけだいじんぐう」は、むろん荘厳な趣きだったが、別宮もそれぞれに、おごそかなたたずまいを持っていた。
多賀宮(たかのみや)
土宮(つちのみや)
月夜見宮(つきよみのみや)
風宮(かぜのみや)の4つだ。
都会そだちのぼくは、静けさのなかでしっかり大地に根をはり、天までそびえる大きな樹木を手に触れて、パワーをもらった。
内宮まで市内のバスを利用した。
「昼は駐車場が混んでいるから、入るまで時間がかかると思うわ」、そう幸子から教わったからだ。
いままでは良い天候だったのに、内宮に着いた途端、深い霧が立ちこめる。上着を羽織っていないと、風邪をひきそうな天候だ。彼女は巫女姿で大丈夫なのかと案じた。
「なれているから平気です。ほら、あそこが五十鈴川にかかる、宇治橋ですよ。境内に入るまえから、おごそかな気分にひたれるでしょう?」
そういえば、この場所で両親と記念撮影した記憶がある。橋のたもとで観光客に一眼レフを渡し、ほほえむ幸子と並んで撮ってもらった。
懐かしむように玉砂利を踏みしめる。ながい参道を多くの人と一緒に進んだ。英語や中国語、聞きなれない言語もあった。「日本人の心の拠りどころ」と呼ばれる自然の原風景が、ぼくの胸の中にしみこんでいく。
「いまから2千年前に、皇位のしるしとして受けつがれる、三種の神器の八咫鏡(やたのかがみ)をご神体として、この地にお祀りしたのです。それ以降は国家の守護神として、伊勢信仰がねづいたのです」
「三種の神器って日本書記でしたね。あと2つはなんでしたっけ?」
「ひとつは熱田神宮のご神体となっている、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)です。武力の象徴とつたわる存在です。もうひとつは、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)です。謎がおおくて、平家の武将とともに壇ノ浦の戦いで海に沈んだとも言われています」
古事記などでは、天津神(あまつかみ)が住む天上界を「高天原(たかまのはら)」と呼ぶ。神々は天皇の孫を下した際に、「この国は天地とともに永遠である」と祝福の言葉を与え、稲穂を授けた。ぼくは(いつの時代でも平和で飢える心配もなく、心が穏やかに過ごせるように)と願をかけた。
銀鼠色のどんよりとした乱れ雲から、つめたい雨粒が落ちはじめる。ぼくと幸子はいそいで参拝を済ませ、合いあい傘で石の階段を下りた。
「たぶん雨男のぼくのせいです。すみません、こんな天気になって」
「でもひと昔前まで雨男って、貴重な存在でしたよ。農耕に雨は欠かせないですもの。安倍晴明みたいに、雨を降らせない人もいますけど」
「ただ、だいじな時にかぎって雨が降るんです。外回りの得意先で、ずぶ濡れの床を掃除させてしまったり、両親と楽しみにしていた旅行が雨だったり、恋人にプロポーズで断られたりしたときも雨でした」
「わたしも雨女ってよばれていました。産んだばかりの子どもを、雨の日に亡くした女性が自害して、妊婦さんのところに現れるっていう、雨おんばという妖怪もいるらしいですよ。きょうは、たのしかったわ」
五十鈴川のほとりで清流に心を奪われていると、幸子がぼくの前から姿をくらましてしまった。
すると、足に貼っていた湿布がはがれ、とつぜん痛みがひろがる。
彼女からもらった膏薬も、濡れ落ち葉のようで、匂いさえしない。
一眼レフには橋のうえで笑みを浮かべる、ぼくだけが写っていた。
幸子は天女だったのだろうか?
◆ 写真・文章・編集 :隅田 昭
◆ 取材:2019年11月 2日
◆ イラスト:Googleイラスト・フリーより
発行:2019年11月24日