スカイツリー開業に思う=斉藤永江
作者紹介:斉藤永江さん
彼女は栄養士で、製菓衛生士です。チョコレート製作を始め、洋菓子作りと和菓子作りに携わっています。傾聴ボランティアとして、葛飾区内の施設、および在宅のお年寄りを訪問する活動をしています。
葛飾区民記者の自主クラブ「かつしかPPクラブ」に所属し、積極的な活動をしています。さらに、朝日カルチャーセンター・新宿『フォトエッセイ入門』の受講生です。
記事(区民記者)は現地を取材し、より客観的な書き方になります。エッセイは逆に、私が「私」の心のなかや出来事を取材し、主体的に書き綴っていくものです。
ある意味で、双方は相反します。しかし、第三者に読ませるもの、それは共通しています。
客観的に書く、主観的に書く。この二刀流ができれば、書き手として『わたし』を磨いてくれると、作者は語り、意欲的にチャレンジしています。
スカイツリー開業に思う=斉藤永江
平成24年5月22日、待ちに待った東京スカイツリーが開業した。
世界一の高さとなる電波塔が、押上にできるそうだ、という第一報ニュースを聞いた日から、どれくらいの年月がたったのだろうか。
候補地は、いくつかあったと記憶している。まさか、下町で特に何の特徴もなく、また、「おしあげ」なんて、垢抜けない地名の場所が選ばれるとは思ってもいなかったので、正直驚いた。
建設工事が開始されてからは、出掛けた帰りに、よくその進み具合を見に行っては、1人で感動していた。
現在の634mに建ち上がったスカイツリーよりも、着工間もない、ようやく、その姿を現したかな、という頃の迫力は、ものすごいものがあった。
あのとてつもなく大きくて太い一番底の直径が、地上からはえてくるのだから。
初めてその姿を目にしたのが、夕暮れ時だったこともあり、その巨大な円柱形の物体が、私の眼には、不気味な光景にも感じられた。
すごい!という感動と、怖い!という恐怖感。
その2つが交錯する思いの中で、私はいつまでもその場にたたずんでいた。
それからは、その光景に会いたくて、何度も足を運んだ。 同時に、家族にもこの感動を味あわせてあげたい、特に、2人の子供たちには、建設途中のスカイツリーを何としても見せてあげたいと思った。
建ちあがってしまったら、もうずっとその高さなのだ。今しか見ることのできない世界一の電波塔の姿は、この時代に生きている者にのみ与えられた特権なのである。
それは、とてつもなく貴重なことに思われた。
私は、むしょうに我が子とこの感動を味わいたくなった。
母が見せてくれた建設途中のスカイツリー。
家族全員で見上げる未完成の姿。
その時の感動。
母の愛。
感謝する子供たち。
私の中で、どんどん想像が広がっていった。
この先、半永久的に存在するであろうスカイツリーを見る度に、子供たちは、母の思いを懐かしむにちがいない。
10年後、20年後、結婚して、母親や父親となった子供たちは、きっと、「パパやママは、このスカイツリーの建設中に家族全員で見にきたんだよ。おばあちゃんが連れて来てくれたんだ。それは、すごい迫力だったんだよ」と、話して聞かせるに違いない。
いよいよ、パパが休みの日になった。私は、子供たちに「今日は、スカイツリーを見にいくよ」と、勢い勇んで声を掛けた。
「なんで?」と、娘が言った。
「俺、行かない」と、息子がつぶやいた。
そうだった、2人とも、反抗期だったのだ。
そうと解っていてもムカッときた。
(今しか、建設途中の貴重なスカイツリーの姿を見ることはできないのよ。その姿を、家族全員で見て、同じ感動を味わおうという母の気持ちが解らないのか。)
そう叫びたい気持ちをグッと押さえて、
「そう言わずに一緒に行こうよ。パパも休みだしさ。」
顔をひきつらせて微笑んだ。
しぶしぶ、2人は車に乗り込んできた。
しめしめ、現地まで連れて行ってしまえばこっちのものだ。
あの迫力を見れば、2人だって歓喜の声を上げるに違いない。
車は、スカイツリー工事現場の脇に止まった。
「俺、降りない」と、息子が言った。
「今、見る意味がわからない」と、娘がつぶやいた。
ぶん殴りたくなった。
いやいや、こんな大事な記念の日に怒ってはいけない。
子供たちのペースにはまってる場合ではないのだ。
私は、さっきより一層、顔をひきつらせながら、それでも笑顔で、
「とりあえずさ、せっかくここまで来たんだから、写真の1枚でも撮ろうよ」
娘はしぶしぶ車から降りてきた。
車の中で憮然としている息子を、半ば強制的に、それでも、顔はひきつり笑いをしながら、優しく引きずりおろし、「パパ、早く写真撮って!」とせかした。
家族の中で笑っているのは、私1人であった。
まぁ、いいや。記念写真は撮れたし、今だけの高さの貴重なスカイツリーとのショットだものね。
帰りの車の雰囲気は悪かったが、私は満足していた。
家に着いてパソコンで見てみると、もたもたしているうちにすっかり辺りが暗くなっていたのと、フラッシュをたかないで撮ったせいで、3人の顔は全く写っていなかった。
雰囲気、雰囲気。残念だったが、これも思い出の写真ね。
そう思うことにした。
ほどなくして、パソコンが壊れ、全く動かなくなってしまった。
そして、修理と同時に全てのデータが消えてしまった。
当然のことながら、あの写真も。
こんな無体なことってあるだろうか。
泣きたくなった。
あんなに苦労して撮った記念の写真なのに。
あれから数年。めでたくスカイツリーは開業した。
子供たち、あの日のこと覚えているのかな。
『全く覚えてない』
『そんなことあったっけ?』
そう言われるのが怖くてとても聞けない。
写真のみならず、母の苦労まで消えてなくなってしまいそうで。
文・写真・斉藤永江