苦闘する飯舘村・菅野村長にインタビュー(下)=郡山利行
「災害の重い軽いという表現ならば、津波被害の方が放射能災害よりも、何十倍も重いです」
福島県・飯舘村(いいたてむら)の菅野村長は、そう語る。
大地震・大津波で、家族を亡くした、家が流出した、家が壊れた、それらは目に見える災害です。放射能の拡散は目視できない被害が内在しています。
三陸など大津波被害は何年か経てば、ゼロからのスタートができます。と同時に、「地震や津波は天災だからしかたがない」と思うことが出来ます。
でも、放射能被害を受けた私達は、ゼロ以下です。どれ位のマイナス規模なのか、それすら未だにわかりません。このゼロの段階に向かって、世代を超えて何年もかかるかもしれません。不安と戦いながら、汚された土地での生活苦とも戦いながら、私たちは生きていかなければならないのです、と菅野村長は強調した。
ゼロのラインにいつ戻れるのか見通せない。それが放射能災害が、他の災害と違うことです、と再度強調した。
もう一つ大きな違いがあります。大地震・津波による災害は、家族も地域も自治体も、復興への力が結束して、≪力を合わせて頑張ろうな≫となります。 ところが放射能では、それとは全く逆で、心の分断の連続となってしまうことです。
家族の中でも、年寄りと、小さい子どもを持った若い人達とでは考えが違います。 夫と妻とでも違ってきています。かなりの数の離婚が出ています。
自治体の中においてすらも、放射線量が高い所と低い所で、避難先から帰る時期が違います。賠償金の額までも大きく違ってくるので、それ自体も大きな問題になります。
避難生活はいま賠償金で行われているので、労働への意欲がどんどん喪失してきています。農村で育った人達が突然、都市部で生活を始めると、都会の便利さに急速に慣れ、身も心も病んできています。これが現実です。
この二つの違いの事を、国をはじめとした行政はまるで理解していません。
「最もわかっていない、理解できていないのが国会議員です。 これだけの≪有事≫なのに、今までの≪平時≫の規則や決まりでやろうとしている」
こちらから提言しても、誰も自分から進んで変更しようとしません。
菅野村長は日々の村内の各地区での意見交換会の様子、村の将来に向けた施策、模索など、面談した一時間たっぷり語ってくれた。
村長の語った放射能被害のむごさが、痛切に私の心に響いた。この人物ならば、村人のほとんどは信頼して付いて行くだろう、と指導力を高く評価したい。
他方で、飯舘村の現況を知らず、同村を訪ねずして、メディア情報のみ(概念)で判断し、村長に批判メールを送り込む無責任な人たちが多いようだ。そこに憤りすら覚えた。少なくとも、放射能被害の真の苦しみを理解できない、しようともしない人たちだろう。
小説家・穂高健一氏が≪海は憎まず≫の次の作品に、菅野村長のインタビューをどのように描くのか、とても楽しみとなった。