東日本大震災を忘れるなかれ、岩手・宮城の両県を現地取材する
東日本大震災は、東京・葛飾においても、他人ごとではない。
最近、各家庭に災害時のハザードマップが配布された。東京下町の葛飾、足立、江戸川、江東区などは危険地帯として真っ赤に染まっている。「どこに逃げるの?」。千葉県の市川、松戸も真っ赤である。一目瞭然で、逃げ場所がない。
かつしかPPクラブは、2018年度の遠距離・取材として岩手、宮城の大津波被災地で、被害者から生の声を聞く取材活動をおこなった。
11月10日(土)上野駅発7時22分の「はやて119号」一ノ関駅着・9時30分で、現地にむかった。車で出迎えてくれたのが、大和田幸男さん(写真・左)だった。
陸前高田駅はすっかり消えた。駅舎のあった場所で、チリ地震の最高水位がここでした。しかし、3.11の大津波ははるかに高かったのです、と大和田さんがリアルに語る。
かつしかPPクラブは、葛飾区内を中心に活動しているが、年に一度は、遠征・取材している。これまで新潟、鹿児島、広島に次ぐもの。
費用はかかるけれども、それだけに真剣な取材で力量をつけることができる。という考え方です。、
一ノ関から陸前高田まで、距離が長い。途中、昼食を兼ねて名所・猊鼻渓で、船下り約1時間ほど楽しんだ。
岩手は平泉が物語るように、黄金文化が栄えたところだ。
東京を早立ちしてから、14時頃に陸前高田に着きました。大和田さんがさっそく陸前高田の被災地・一本松に近い丘陵に案内してくれ、3.11当日と現在の復興状況などを語ってくれた。
丘陵の高台に新築の家を建てている方からも、話しを聞くことができた。
地元の有力な製材所を経営していた大和田幸男さんは、工場・事務所のすべてを失くした。
「ここが工場敷地でした」
大津波に負われた私の逃げの姿が、ユーチューブで見ることができます。
大津波で破壊された中層マンション。最上階だけが、津波にまぬがれたのが確認できる。
箱根山展望台から、三陸のリアス式海岸へと大津波が襲ってきた方角が確認できます。
方位盤からも確認するなど、取材は念入りです。
大船渡市の碁石海岸に案内していただいた。
真正面の沖合が、3.11震源地になる。波はダイレクトに押し寄せて、この一帯の漁師さんたちの集落は破壊されてしまったという。
なぜ、碁石海岸なのか。
砂浜でなく、岩石が大波で粉砕されて、長い年月の間に、ちょうど碁石の大きさになったもの。自然の破壊力を海辺で実感する。
ふだんでも荒い波が押し寄せる。
カメラワークも、たいせつな取材だ。
大学生らしき団体もやってきた。
磯を洗う大波には、だれもが驚嘆していた。
大船渡、気仙沼の市街地は回復しており、3.11を感じる痕跡はほとんど見当たりません。すべて自己責任の範囲で、家を建てる。行政は住民コントロールを失ったのでしょうか。
日没が早く、17時頃に陸前高田のキャピタルホテルに入りました。
この夜は、カキ養殖業者の大和田晴男さん(2011年撮影)ご夫婦から、大津波の体験をじっくり聴くことができました。
翌朝は大和田幸男さんの車で、気仙沼に行き、そこから気仙沼大島へのフェリーに乗り込みました。
大島は来春に大橋が架かるそうです。
3.11のときは大島の亀山は、山火事に遭っています。
気仙沼の石油タンクが燃え広がり、漁船に引火し、それを津波が大島に運んできた。次つぎと燃える漁船が漂着した。
海岸から火が燃え広がり、山頂を超してしまった。
島の周辺の海はガレキで埋まり、小舟で逃げだすこともできず、島人は生死をさまよいました。
消防庁のヘリコプターは人名救出が優先で、島の消火にはやってこない。山頂からリフトのローブ(油)を伝わって、火が民家まで降りてきた。
絶体絶命のときに、西太平洋を航行中であったロナルド・レーガン空母が大島に救助にやってきたのです。