わがまち かつしか2016「 時の流れが見える」(上)=郡山利行
1.はじめに
歳を重ねるほどに、月日が経つのが速く感じられるようになった。
現役サラリーマン時代は、月日の流れを、日常的にはさほど強く感じなかった。ところが仕事から離れて、しばらく経過した今日この頃は、何でもない当日の行動予定を、いちいちはっきりと意識してしまうのである。
それが時には、わずらわしく余計なことに思うこともある。
『春季限定、桜シリーズの3分砂時計。 ガラス表面は、グラスリッツェンという技法で、描かれたもの』
この時の流れの意識を、なんとか遠ざけて、ささやかなものにできないかと、筆者は思い悩んだ。
そこで、時を刻む流れの代表的な物に気が付いた。
砂時計である。 あの優しく美しい、そしてとてもか細い砂の流れである。ゆるやかな時の流れに身を任せて、時間の経過を忘れたくなる。
時計のない生活の行動について、ドイツの作家E・ユンガーは、著書<砂時計の書>で、次のようなことを言っている。
『子供は、呼ばれるまで飽きるまで遊ぶ。 陽が沈み、夕闇と共に不気味さが、遊びの魅力にとってかわるまで遊ぶ。
私達は魚釣りや狩猟をする時、種蒔きや刈り入れをする時、時計に従って行動はしない。
私達は夜明けとともに起き、野獣を倒すまで、あるいは取り逃がしてしまうまで狩場を去らないし、また最後のわら束を荷車に積上げるまで、畑にとどまっている』
葛飾区東立石4丁目在住の、砂時計職人、金子實(みのる)さんを取材した。
社長の金子實さんは、1946(昭和21)年生まれ、69歳である。 自宅工場は葛飾区東立石の住宅密集地にある。
ひょうたん型砂時計を作れる職人は、日本国内では二人だけである。もう一人は区内奥戸2丁目で同じ仕事をしている、社長の弟(治郎)さん。
世界中でも数少ないのでは、との問いに対して、
「そうですね、イタリアあたりにひょっとしたら、何人かいるかもしれませんね」
と、さらりと答えた金子社長だった。
同社は、昭和23年頃に、現在地で社長の父親が創業した。
砂時計を作り始めたのは、昭和30年代前半だった。先代社長が貿易会社の依頼で、米国向け3分時計エッグタイマーを製造したのが始まりである。
「父と母が夜中まで、砂を選ぶのに試行錯誤していました」
と、帆布製の前かけ作業着姿の金子社長が、思い出を語った。
【主な作業工程】
2-1 材料
砂時計にとって最も大切なのが砂である。 作業場の壁の棚は、実に様々な砂が入った、ペットボトル等でいっぱいだった。
時計用に調整された、今でも使える貴重な材料である。
『アフリカを旅行した人達からの、サハラ砂漠やその他各地の砂漠の砂』
平成7年にTVの取材で、「粒子状になっていれば、大抵の物は砂時計にすることができます」 と発言したことで、全国から 「この砂で・・・」 と、オリジナル砂時計の注文が来るようになった。
甲子園球場の砂、南洋戦地跡の砂、旅先の海の砂、ペットの遺骨などまで、さなざまな砂での注文を受けている。
昨年は、梶田さんのノーベル賞受賞記念関連で、岐阜県のカミオカンデがある神岡鉱山跡の岩石を砕いた砂での、注文があった。
2-2 管引きからのバーナーワーク
原材料のガラス管を、円柱形で両端が尖った形で、所定の長さに切断する<管引き>。ひょうたん型の形成から始まる、その後の作業が、<バーナーワーク>と呼ばれる。
経験により磨き上げられた、勘だけのガラス加工術。金子さんの極意の業がここにある。
砂時計のくびれ目(八チノコシという、蜂の腰の意味)の、穴の大きさを確認決定する、手製のタングステン製の棒。