いろんな窓 = 馬塚志保子
病院の窓から見る景色 撮影 2015.4.30
まえがき
私は喫茶店の窓から、人が行き交う通りを、眺めるのが好きです。
今回は日々、病院と自宅を往復、という限られた中で、何が取材できるのか。「いや、それだから、書けるものがある」と自問自答していました。
「来た!」
5月24日14時50分、ヘリコプターがやって来た。みんな窓際に寄って来て、病室は大さわぎである。向かいは朝日新聞社の屋上だ。一回だけ着陸し、すぐに離陸した。人の乗り降りはない。ほんの数分間の出来事である。
月に1~2度現れて、この離着陸の訓練を行うという。
ヘリは何故か、数メートル上がってホバリング。ちょっと前進し、これも少し後退して、そのまま昇って行った。室内には音は全く聞こえない。
実は5月16日の夕刻、筆者はこのビルの下で、バタバタという爆音を聞いた。すぐにカメラを構えて見上げたが、ヘリはビルのかげにかくれてしまったのである。「残念」。
「これですか」と同室のNさんが、その時の絵を見せてくれた。
「えっ 写真に撮りました?」
「いいえ、じぃーっと見ていて、あとで描きました。あの時は、あの黒い建物から2、3人が出てきて、ヘリに乗り込みましたよ。荷物を持っていたから、訓練ではありませんね。いつもは人を乗せません」
74歳(男性)のNさんは、もうすぐ退院の予定だ。「窓からの景色を絵日記として描いています。これを、コピーしてはがきに貼り付けます。退院の時にポストに入れて、お見舞いをいただいた方々へのご挨拶にします」
その自慢の作品を見せてもらった。やさしい絵である。
「スケッチを始めたのは2010年ごろからです。絵具は100円ショップで買います。これが一番いいのです。線は万年筆(これも100円)で描きます。スペアインクも一緒に買わないと、後で手に入らない時がありますからね」と話した。
まるで屋根の上を、車が走っているようだ。これは16階の窓ガラスに反射した映像が、下の屋根に映っている現象である。
どこを走っている車かと探してみた。
なんと、屋根から500mも離れた交差点であった。軒下の車は、どれが本物か、影なのか見分けがつかない。
ここは、廊下の片隅にある小部屋。時たまこの窓際に座って、外を眺めている人がいる。
屋根の車の映像が見えるのは、左のガラス(写真)、見る位置と角度があるのだ。いわば、知る人ぞ知る、不思議なガラス(空間)である。
汐留シティセンター
病室から眺める、超高層ビルは芸術的だ。汐留シティセンターは、その中で一番高い。曲線を描いた、緑がかったガラスに、映った建物たちがとても美しい。そこで、病院の帰りに、途中下車して汐留を撮りに行った。
「どっちがどっちだ!」
平成7年、東京都の都市基盤整備と民間プロジェクトにより完成した、6万規模の巨大複合都市「汐留シオサイト」である。
ここに伊達政宗時代に建てられた「仙台藩の上屋敷」があったのだ。日テレ辺りに「江戸切絵図」が貼られている。
上屋敷の境界線は、電通本社ビル、汐留シティセンタービル、日本テレビタワー、汐留タワーの敷地を含む2万5000坪以上である。仙台藩に徳川家から与えられた、この土地が「浜御殿」、現在の「浜離宮恩賜(おんし)庭園」であったことを、筆者は今回初めて知ったのである。
ましてや、それが今の3倍の広さであったことなぞ、知る由もないのだ。
明治維新後、新政府によって屋敷は接収された。日本初の鉄道が走り、起点となる新橋駅が汐留にできた。大正3年に東京駅が完成し、東海道本線の起点は、新橋駅から東京駅に変わった。新橋駅は貨物専用駅に。
しかし、道路交通網の発達により、貨物列車輸送に変わってトラック輸送が増え、昭和61年に汐留貨物駅は廃止になった。
そのまま、ずっと広大な空き地となっていたのである。
「ゆりかもめがいた!」
筆者はビル群を撮りながら、ぺデストリアンデッキを気持ちよく歩いて、新橋駅まで行った。いまにも動き出しそうな「ゆりかもめ」を見つけた。
実は、ゆりかもめ新橋駅向かい側の、ビルのガラスに映った「疑似(映像)」である。背の低い筆者は、精一杯、高窓にしがみついて撮った。
「あれ、運転手がいない?」
ゆりかもめは、コンピュータによる無人自動運転をしているのだ。新橋駅と豊洲駅以外には駅員もいないのである。
新橋駅から豊洲駅を結ぶ16駅、約15kmの道のりを走る、新交通システムである。コンクリートの平らな走行路を、ゴムタイヤで走るため、静かで振動が少ない。(KKゆりかもめHP)
道路上の高い道路を走るために、車窓からは、お台場やレインボーブリッジはもちろん、東京のシンボルである東京タワー、スカイツリーなどをのぞむ。
その景観は抜群である。