心の窓 = 須藤裕子
「心」とは「気持ち」のことだ。気持ちは「顔」に出る。
「顔は心の窓」になる。外を歩くと、「顔」に見えるものがあり、
何か話しかけてくる。だが、「顔」に見えるものは、生き物ではない。
顔に見たてている人の心境や先入観が反映する。想像力が膨らみ、面白がっている自分も映る。さて、あなたには何に見え、何が映るだろうか。
「心の窓」が見えたら、ちょっと面白い。
おおーっと、お姫様も、お花見でしたか。
いいお花見日和ですね。
何よりです。
同じ顔が並んで、同じ方向を見ている。
何を考えているのかわからない。
おかしくもあり、
おかしくもなし。
パーマをかけて間もないようですが
その髪型、どう変わっていくのか、見ていますから。
何を考え、何をじっと見ているんだか。
でも、こんなに見られると、求愛されているというよりも、真面目に問われているように見えます。
「安全運転していますか」。
街で目に掛かった「サメ」。
いや、口元が違う。でも、恐い。
なんだか苦しそうで、ため息が聞こえそうで、
この蔓、どけてほしいですか。
笑っているのか、とぼけているのか。
少し開けた口もとから歯が見える。
“ Have a nice day! ”
ふいに目が合う。見られている気がする。
「お天道様」ですか。違う?
こっちだって見ているぞ」。
これも時代の流れか・・・・・・。
片目から草が噴き出している。もしも、これが赤い草なら、ぞっとする。
動物なのか、妖怪なのか。答えはわかるかしら。
ひっくり返して、見てもいい。
ジャーン!黄金の髪と目、私の名前は癒しの「神社ーマン」。
いや、守りの「神社ーマン」。
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見ること、見つけることで「心」が動き、想像で遊んだ。
生きている人間なら、尚のこと、
表情には変化があり、感情が顔に出て、心が躍ったり、困惑したり、時にはぐさりと突き刺さったり……。それもこれも、生きているからこその面白さ。