猛暑の企画ミスから端を発し、「立石で飲もう会」に21人の酒友
朝日カルチャセンター千葉は特別企画『昭和が残る立石を歩く、撮る、語る」を募集した。7月17日(水)午後2時に集合だった。ここ連日は猛暑で、熱中症が連日報道のメインになり、外出を控えるように言われている。
私が企画したのだが、日時の設定ミスだった。参加応募者がわずか3名だった。当初は梅雨を心配してたいたが、猛暑となると、当然だろうな、と思った。
12日(金)なって、この企画は最終的に流れた。
ただ、石井朝日カルチャー社長、轡田隆史さん(元朝日新聞論説委員)も、参加を予定していた。こうなれば、私的な飲み会にしよう、と即判断した。集合時間は同日夕刻4時とし、仕事などの都合があれば、来れる時間とした。かつしかPPクラブ(6人参加)から声をかけてもらう。岡島古本屋の店主、石戸さん(かつしかFMに1時間番組をもっている)など、町を良く知る人が来てくれる。
私の方は作家仲間の高橋克典さんを誘う。とならば、ストリップ作家の牧瀬茜さん、在日作家の金子京花さん。読売エッセイ教室の受講生だった、高橋さんも呼ぼう。葛飾区教育委員会の佐藤さん。
朝日カルチャセンター千葉の大岩さん、栗原さんも「いらっしゃいよ」と声掛けする。当初申し込んでいた夏目さんも来てもらう。轡田さんはニュースステーション時代のディレクターを誘われていた。
あおばの女将には、事前に「飲み放題・食べ放題3500円」で、4時半から10時半まで借り切る、と話を通しておいた。
「何人来るの」
「わからないな。最低でも7~8人。多ければ、15人かな」
こんな曖昧さだ。
同日4時には、京成立石駅に10人が集まった。葛飾区伝統産業職人館を見た。夕刻から雨が振りはじめたことから、奥戸橋から東京スカイツリーでも眺めて、と思っていたが、それはやめた。呑んべ横丁から、踏切を渡り、仲見世を通って、あおばの方角へと向かう。
仲見世で、桜井惣菜店の桜井さん(店主)とちらっと立ち話をした。彼は会うたびに、「立石をしっかり報道してね」と言われる。
5年ほど前、立石の斜陽化が進んでいた。京成電鉄の高架が目前まで来ているので、商店街が消えていく危機感が漂っていた。
住民の私は歳月の流れの中で、次第にさびれてく立石を見ていた。このままだと、ドロップダウンが加速するだろう。私なりになにかしら昭和が残る町を残せないか、寄与できないか、と考えていた。
ネット・ニュースの企画ものとして、「立石仲見世の理事長・理事の『正月座談会』を行った。それも連載ものにした。若手理事の桜井さんは、先行きの暗さを最も語っていた人物だ。
ホリエモン人気に乗ったネットニュースで、私は何度も「昭和の残る葛飾・立石はいいぞ、いいぞ」と記事にしていた。(読者層は若者だった)。四季の立石のイベントも取り上げた。
酒場の紹介となると、日本ペンクラブの作家仲間に立石に来てもらい、杯をかわし、下町・立石の感想を載せた。と同時に、かれらの執筆の中で取り上げてもらったり、女性作家にはミステリー小説の舞台に立石を使ってもらったりしていた。
やがて若者たちがネットで立石の魅力を語り、一気に拡がりはじめた。最近ではTVの散歩番組、酒場めぐり番組で立石が取り上げられるし、その頻度も増えてきた。スカイツリー関連の報道もあいまって、立石は一躍有名になってきた。
新装の飲み屋も漸増している。週末の夜は若者の街になる。
「あおば」は昭和の大衆酒場の雰囲気がたっぷり残っている。それゆえに、作家には人気がある店だ。5日間の声掛けで、参加者は21人。雨の中を三々五々と集まってきた。初対面の異業種交流会に似ている。個々の紹介は頃合を見計らって行う。
あまりにも大勢なので、話が遠くまで飛ばない。それぞれが思のままに語り合う。「かつしかPPクラブ」は区民記者だから、遠来から来た方々にも、話題が提供できる。それぞれが談笑していた。
そして、2次会へと深夜の町なかへと消えていった。
立石人気があるので、猛暑の企画ミスもリカバーできた。
写真提供(中段):郡山利行さん