いちばん好きなこと=井出三知子
作者紹介:井出 三知子さん
かつしか区民大学「区民記者養成講座」を経て「かつしかPPクラブ」で、取材活動を行う。
他方で、朝日カルチャーセンター「フォトエッセイ入門」の受講生
海外旅行と海中写真撮影を得意としています。
いちばん好きなこと 井出三知子
月に3回は夜7時に迎えに行って、わが家に一緒に帰るようになって、2年が経った。
彼は星が大好きで、かならず北斗七星を探して教えてくれる。私は移動する星の位置で季節の移り変わりを感じていた。
8月のある日、いつものように星を探して歩いていると、彼は何を思ったのか、突然に、
「僕は好きな人が3人いるんだけど、いでちゃんが一番好きだよ」
と言い出した。
一番好きか、なんて、言われた事も言った事も、その遠い昔にあった。だが、すでに記憶のかなたに埋もれてしまっていた言葉だった。
久しぶりに聞いた、その言葉の響きが、私の心の中を暖かい風のように吹きぬけていた。
「3人って誰なの?」
「お母さんと幼稚園のゆうたくんと、そしていでちゃんだよ」
「お兄ちゃんが入ってないの」
「お兄ちゃんはいじわるするから嫌い。いでちゃんが一番好だって言ったことは、お母さんに内緒だよ」
まったく調子がいいのだから、子ども特有の世渡りの術で、私を喜ばしてくれる。もちろん、母親が一番好きなのは百も承知だ。それでも一瞬でも、彼の口から出た一言は、一緒に過ごした時間が報われたように思えた。
日本大百科全書より
彼の名前は暖貴君(ハルキ)6歳、しし座、あだ名は物知り博士。好き物はチョコレート、ウルトラマン、トム&ジェリーそして星座である。
2010年7月に私は、会社を定年で退職した。前から解っていたことだったが、自分を必要としている場所が無くなってしまう、その寂しさでいっぱいになっていた。
そんな時、葛飾区の子育てボランティアの制度を知り登録した。
同区が最初に紹介してきたのが、はるき君だった。保育所では7時までしか預かってくれない。おかあさんがその時間まで迎えに行けない時だけ、私が代理で迎えに行った。そして、わが家で預っていた。
1ケ月3回だったが、それでも必要とされていることがうれしくて、仕事がなくなった私にとって、趣味とは違う緊張感があった。
一番良かったのは、ボランティアをすることによって、会社生活の枠の中から、新しい生活にスムーズに移行させてくれたことだった。
まったく地域と係らないで生きてきた私が、地域に溶け込む、第一歩になっていった。はるき君をサポートする立場なのに、実は私がサポートしてもらっていたという思いがある。
彼は時どき私に質問をする。ウルトラマンは何人いるのか。ポテトチップはどうしてできたのか。夏の雲な何なのか。
「ものしり博士」とあだながついて当然だ、とおもわせるくらい、いろんな事を話してくれる。
先日、彼の質問の意味がわからなくて、私がパソコンで調べていた。その姿を見ていた彼がパソコンがやりたかったらしい。
数日後のある日、保育所からわが家の着くと、
「おかあさん遅く迎えにくればいいな」
と言いながら、パソコンのまえで、あれこれ夢中で検索していた。もちろん、電源の入れ方から私が教えたのだが、脅威的な速さで覚えてしまった。
「僕はいでちゃんが一番好きだけど、いでちゃんは何が一番好きなの」
とはるき君から質問されて、とっさに
「はるきが一番すきだよ」
と答えたものの、はるきの言葉が頭から離れなかった。
いったい私は何が好きなのだろうか。何をしている時が一番好きなのだろうか。何がしたいのだろうかと自問自答していた。
私は毎日が忙しく過ぎていくのが、充実した生活だろうと思い込んでいた。その結果、日々に物事をこなすのがやっとで、好きとか嫌いとかを考えている、そんな余裕すらなくなっていた。
『暇』恐怖症の私でも、こんな中途半端の状態はまずいのだろうと、漠然と考えていた。そんな矢先だったので、今の状態をふりかえる良い機会を与えてくれる言葉だった。
私は50歳の始めごろから、定年になったら、やりたい事を入れておく『お楽しみ箱』を作っていた。その箱の中へ、日ごろから目についた情報や,メモを入れて、定年後の自分にそなえていた。
『お楽しみ箱』の中から、なにかしら答えが見つかるのではないかと思い、久ぶりに開けてみた。けれど、その当時と今の心理状態が変化していたようで、箱の中に答えはなかった。ただ、ボランティア活動だけは、唯一実現していた。ほとんどのものは定年後、いろんな人に出会い、その人達から影響をうけて始めたことばかりだった。
定年後やり始めたこと
葛西囃子
塗り絵
かつしかPPクラブ
シヨートテニス
他には ハンドベルなど「お楽しみ箱」の中身とはずいぶん違ってます。
今は好きが嫌いかではなく、一緒にやっている仲間を大切に継続して行きたいと思っています。
そうしていたら、そのうちに答えが見えてくるかもしれないから。もしかして私が一番好きなのは『人』『人間』かもしれない。願わくは、魅了的な男性がそばにいてくれれば、それが確実に一番だと思うのだが、これはいまからでもメモして『お楽しみ箱』に入れておこうと思う。