小休止=井出三知子
作者紹介:井出 三知子さん
かつしか区民大学「区民記者養成講座」を経て「かつしかPPクラブ」で、取材活動を行う。
他方で、朝日カルチャーセンター「フォトエッセイ入門」の受講生
海外旅行と海中写真撮影を得意としています。
小休止 井出三知子
「京成電車の青砥駅で乗ってね。一番前の車両に居るから」
成田空港から海外旅行に出かける時は、いつも同じメールが入ってくる。彼女と一緒に海外旅行をするようになって何回目になったのだろう。
学生時代は全く話をした事は無く、30年ぶりの同窓会で逢って親しくなった。早いものであれから15年もたっている。
彼女は気功の先生をしていたので私は週1回、夜仕事の帰りに習いに行っていた。
先生と生徒の関係が淡々と過ぎて2年がたった頃、
「私も海外旅行に行きたいな」
と言ってきた。
思いがけない、その言葉に非常に驚いてしまった。彼女は結婚していて両親と一緒に住んでいた。気功が終わるとさっさと帰ってしまうので、お茶に誘うのも遠慮がちだったからだ。だから、泊まりがけの旅行は無理だと思っていた。
私自身はいつも旅行から帰って来ると、彼女に楽しかった事、失敗した事、空港に降立った時に感じるその国独特の臭い、知らなかった事を知るわくわく感がたまらないから、やめられないなどと熱くしゃべっていた。
「旦那様を置いて大丈夫なの」
「これからは少しずつ自立してやりたいことやっていこうと思っている」
「大賛成、絶対にそうした方が良いと思うよ。」
「だけど行きたいは嫌よ、行こうでなくては」
今まで「行きたい」「やりたい」などの「たい」にはずいぶんと振回されてきた。本気だろうと思って、私のできることは協力しようと、具体的な話を始めると、一向に話が進まなくなるのだ。そんな事が何回もあったので、経験上「たい」は「おはよう」「さようなら」の挨拶のようなもので、その場の話を円滑にするサービス精神の言葉に違いないと理解するようになっていた。
また、無駄な労力は嫌だった。
予想に反して、彼女からは「行くから」とすぐに答えが返ってきた。短期間で行ける近場のソウル3日間のツアーに参加することにした。
羽田空港の待ち合わせ場所に着くと彼女の隣に男性がいた。だんな様だった。ていねいに挨拶をされた。
「よろしくお願いいたします。危ない所に行かないこと、移動はタクシーで、夜はなるべく早くホテルに……」
途中から彼の言葉が耳に入らなくなっていた。
私の頭の中では違う事を考えていたからだ。
「まったく、いい年の大人にそんなこと言うのか、過保護もほどほどでないと、ソウルに着いたら、めいっぱい私のペースで行動しょう。今回でこりて一緒に行かないと言ってもいいから」
など半分いらつきながら、残りの半分は現地で彼女がどんな反応をするか、楽しみながら作戦を練っていた。
顔ではまんめんの笑みを浮かべ、「承知しました。安全に楽しんできます」もう一人の私が言った。
ソウルに着いて自由時間になったとたん、地下鉄の路線図、市内地図を渡し、
「共同作業で地図を見て、観光スポットを探しながら行きましょう。たどり着けなくても、それもまた旅、違う経験をしたと思えばいいから」
最初は驚いた顔をしていたが、すぐに私の意図が解り
「自分の肌で感じなくてわね」
と言って笑った。
そして、朝から晩まで地図とにらめっこして歩きまわった。時には私を引っ張ってくれた。だんな様の前の姿とは想像できない位、たくましく頼りになる別人の友達がいた。最初の旅行で私達は一緒に旅行しても大丈夫だなと思えるようになっていた。
それから年に2回の海外旅行が恒例になった。
今年3月に、例年通り8月の予定を決めようとした時、
「8月の旅行が終わったら、しばらくは家を空けられなくなってしまった。ごめんね」
早かれ遅かれこうなると想像していたので、彼女が何を言い出すかすぐに解った。
90歳になるお母様がいて介護状態である。気分転換といっても1週間も10日も旦那様だけにまかせておける状態では無くなってしまったからだと思った。私の心は残念な気持ちで一杯だった。彼女との旅行は、今では欠かせない大切な時間になっていからだ。
8月の最後の旅行は彼女の希望を優先してチロル地方(イタリア、オーストリア、ドイツにまたがる地域)にハイキング付のパック旅行を決めた。
8月1日に10日間の日程で出発した。
私は2000m級のトレッキングが3日もあるので不安だったが、また新たな経験ができるのかと思うと期待感で一杯だった。
今回はオーストリア航空だった。私の席の担当のスチワードさんは背が高くてハンサムで見ているだけでわくわくしてしまう若者だった。
「お飲物は何にしますか」
「ジントニックで」
あまりにもやさしい微笑みについ、「うすくしてね」と言い忘れてしまった。
気分良く食事が終わった頃から異変がおきた。酔ぱらい状態になってしまい、身の置き所のない状態がその後10時間にも及び、飛行機を降りる時まで続いた。もうすっかり自立した友人に、大笑いされ、こんこんとお説教されて今回の旅がはじまった。
チロル地方の山々は高山植物が咲き乱れ、スイスアルプスとは全く違った景色だった。
彼女といえばいままでの旅行では考えられないくらい、いろんな物を買いあさっていた。私があきれて見ていると振り向いて「自分にご褒美ね」と言い訳をしながら。この夢のような時間が終わったら、これから何年かかるか解らない日々を彼女なりに決心をしているように見えた。なんとなくけなげで、
「気が済むまで何でも買ったら良いよ」
とつぶやいていていた。
成田空港で別れ際、
「いつの日か又一緒に旅行に行けるように体力も心も元気でいようね」
「旅行ができなくても心がくじけそうになったら、何時でも声をかけあう仲間でいようね」
と約束して別れた。