元麻布ヒルズに招かれて=斉藤永江
作者紹介:斉藤永江さん
彼女は栄養士で、製菓衛生士です。チョコレート製作を始め、洋菓子作りと和菓子作りに携わっています。傾聴ボランティアとして、葛飾区内の施設、および在宅のお年寄りを訪問する活動をしています。
葛飾区民記者の自主クラブ「かつしかPPクラブ」に所属し、積極的な活動をしています。さらに、朝日カルチャーセンター・新宿『フォトエッセイ入門』の受講生です。
記事(区民記者)は現地を取材し、より客観的な書き方になります。エッセイは逆に、私が「私」の心のなかや出来事を取材し、主体的に書き綴っていくものです。
ある意味で、双方は相反します。しかし、第三者に読ませるもの、それは共通しています。
客観的に書く、主観的に書く。この二刀流ができれば、書き手として『わたし』を磨いてくれると、作者は語り、意欲的にチャレンジしています。
元麻布ヒルズに招かれて 斉藤永江
知人から、元麻布ヒルズで行われるホームパーティに誘われた。 麻布?ホームバーティ? なんと雅やかな響きであろうか。
生まれてからずっと、下町地区に生息している私である。声を掛けられた時には、狂喜し、「行く、行く!」と即答した私であった。
しかし、ほどなくして、「はて?超高級マンションと呼ばれるその場所に、いったい何を着て行ったらいいものか・・」と、考えあぐねてしまった。
ふだん着はおろか、お出掛け着でさえも、1000円、いやいや、数百円の洋服で済ませている私である。 それで充分だし、特に困ったこともない。 元々、おしゃれには興味がないのである。
逆に、「この洋服、実は500円なの」
「え~、そうは見えない、買い物上手ね~」などと驚かせて、優越感に浸るという楽しみ方を持っていた。
しかし、今回は、違う。そんな洒落も通らない気がしていた。日産のゴーン社長や、雅子妃の妹、礼子さまも住んでいると聞いたことがある。新宿や渋谷の大都会とはまた違い、洗練された香りが漂う街、芸能人や大金持ちが住む、自分とは掛け離れた土地に感じられた。
前日から、着ていく洋服を考えていたが、なかなか、決まらない。それにも増して悩んだのが、アクセサリーの類いであった。私の持っているものと言ったら、全てがイミテーションである。この年になって、 本ものと呼べるものを何1つ持っていないことに気付き愕然とした。
よく一張羅いという言い方をするが、私にはそれさえもなかったのだ。
オシャレや美への意識が欠落している私である。洋服はおろか、アクセサリーにお金を掛けるのは勿体ないし、化粧品も全て100円均一で済ませているのが、自慢でもあった。
結局、悩みに悩んだあげくに、光沢のある大好きなワインカラーのブラウスを選んだ。その明るさが安さをカバーしてくれるように思えた。アクセサリーは、真珠のネックレスとイヤリングを選んだ。もちろん、イミテーションである。ふと、お金持ちの人って、他人が身に付けている装飾品の、にせ物と本物の区別がつくのだろうか、という疑問が頭をよぎった。バレだらイヤだなぁ。
着ていくものとアクセサリーは、決まった。残るは、靴と靴下である。超高級マンションのお宅にお邪魔するのに、まさか、運動靴じゃ行けないわよね、と自問した。100円均一の靴下ってどうなの?
またしても、新たな疑問が生まれた。20名近くの人が集まるのだ。玄関には、ずらっと高級ブランドの靴が並ぶに違いない。その中に安物パンプス靴かぁ。その光景を想像して、私は可笑しくなった。普段は、運動靴かサンダルを履いているのだ。パンプスを出すことさえ久しぶりであった。履いてみたら、靴の内側がベタベタしていた。革でもエナメルでもない、合成樹脂かゴムなのかな?その靴は、古さで劣化していることがよくわかった。
それでも、それを履いて行くしかない。他には持っていないのだから。
靴下は、新しいストッキングをおろすことにした。毛玉だらけの靴下をはいていく勇気はなかった。
そんなこんなの大騒ぎで迎えた当日、私は、自分なりに万端のいで立ちで出掛けた。
最寄り駅で電車を降り、元麻布ヒルズに向かって歩いていると、靴の中がベタベタしてきた。嫌な予感がした。もしかしたら、劣化したゴムがストッキングに、へばり付いてるのかな?真っ黒かも。
予感は的中した。「こんにちは。お邪魔しま~す」と、ワンオクターブ高い、よそ行き声で挨拶をし、靴を脱いだ私のつま先は、真っ黒であった。折角、足を踏み入れることのできた超高級マンションも、その居心地を楽しむどころか、つま先を丸めて隠しながら歩くことに、全神経を集中させなければならず、心も足の指もすっかり疲れきってしまった。
分相応・・という言葉が、浮かんでは消えた。
私が来る場所ではなかったのかな。いやいやそうではない。日頃の粗雑さに問題があるのだ。 分相応の前に年相応、世間相応だな。半世紀も生きてきた大人の女性が、何一つ、まともな物を持っていないなんて。最低限のものは、揃えておかなきゃね。
眩しい元麻布ヒルズの造形美を見上げながら、そう心に誓った私であった。
写真・文 : 斉藤永江